「佐藤代行(現投手コーチ)から指揮権を剥奪した7月1日、奇しくもパ・リーグは定期理事会を招集しています。理事会は同日の日中、佐藤代行の降格決定は夜(ナイター)。要するに、理事会で『星野総監督、佐藤監督』で球宴に臨むと決めた後、楽天フロントは大久保二軍監督の昇格に踏み切ったわけです。当然、決定直後の人事異動を聞かされたパ・リーグは大慌てでしたよ」(NPB関係者)
といったように、楽天の大久保二軍監督の昇格はNPB全体にも影響を与えた。
しかし、当の大久保新代行は緊急措置とは思えない行動も見せている。いきなり、打順を動かしたのだ。1番打者に藤田一也、2番打者には下位にいた嶋基宏を上げ、スタメン遊撃手には22歳の西田哲朗を抜擢した。打線変更は功を奏さなかったが、タダモノではないところを見せたのは、5回裏の守備時。勝利投手の権利獲得まで「あと1人」と迫っていた先発投手の宮川将(23)を諦め、黄金ルーキーの松井裕樹(18)を投入したのだ。
「走者を2人背負っていましたが、宮川にはまだ余力があった」(担当記者)
そして、その松井に勝ち星が付き、大久保新代行が初采配を奮った日が松井のプロ初勝利ともなった。この試合をもっとも喜んだのは、他ならぬ三木谷浩史オーナーではないだろうか。埼玉西武を追われた大久保新代行を楽天に引き入れたのは、その三木谷オーナー。オーナーの長男が野球浪人中だった大久保新代行の野球塾に通ったことがきっかけで、その熱心さを認めたという。
「大久保新代行に(オリックス戦合流の)電話が入れられたのは1日深夜。佐藤コーチは指揮権を預かって以来、『疲れた』が口グセになっていました。球団フロントは佐藤体制での成績不振を見て、指揮権剥奪のタイミングを見計らっていたのでしょう。大久保新代行も内々に連絡を受け、『来るべき日』に揃えていたはず。でなければ、一軍に合流して数時間で打線改造なんて出来っこない」
安部井統括部長は、立花陽三球団社長と話し合って『大久保体制』を決めたと話していたが、星野監督に対しては「報告しました。そういうことになりました、と」と曖昧な言い方をしている。要するに、事後報告だ。星野監督が闘病を押して球宴のベンチに駆けつけるのは“楽天監督を辞めない”との意思表示だろう。完全復帰後、三木谷オーナーの意志を具現するフロントとの対立も懸念されている。
ベンチ内が“星野派”と“デーブ派”で真っ二つになるのが目に見える。