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武藤支える仕掛け人 内田雅之全日本取締役インタビュー

 1972年に旗揚げされた老舗団体の全日本プロレス。2002年に武藤敬司が新社長に就任してからはF-1タッグ選手権、台湾進出などの独自路線で着実に新規ファンを開拓してきた。武藤とともに“二人三脚”で全日本プロの屋台骨を支えてきた男、内田雅之取締役に迫った。

 −−全日本に入社するきっかけは。
 「もともと武藤敬司と友人で、武藤さんが社長になって(経営が)しんどい時期があったので、友人として相談を受けたり協力していた。2004年に東京に定住することになり、『一緒にやろうよ』と言われたので、割と軽い気持ちで了解した」

 −−武藤社長のどんな点に魅力を感じたのか。
 「お互いになんとなく波長が合うし、武藤さんが社長だったら一緒にやってもいいなと思った。発想のすべてが面白いし、苦労していた時も第一線でレスラーとしてやっていた。その精神力はすごい」

 −−経営に携わることになった当時の全日本の印象は。
 「初めてのエンターテインメントの世界で、オレは外様だったから簡単には受け入れられないと思っていた。でも、武藤敬司の後ろ盾があったから経営もやりやすかった。絶対的に1人じゃ出来ないから。自分がやったのは、普通の会社経営と一緒で、経費の見直し。一般の会社のルールを適用させただけ」

 −−武藤体制になってセクシー女優、お笑い芸人など、様々な業界とコラボレーションも試みているが。
 「ウチは地上波放送がないから、世間の認知度を上げるためにプロモーションをたくさんやりたかった。そのためにはプロレスファンだけじゃなく、他のファンも取り込まないといけない。ファン層を増やすためにはどうしたらいいかを考えたときに、違うファン層を持ったところとコラボするのは絶対的に優位になると思った。コラボはウチの専売特許。いい試合を見せることによってウチのファンになるかもしれない。それに、座長(武藤社長)の頭が柔らかいから。アイデアっていうのは逆境で生まれる」

 −−去年から台湾に進出して、今年は支局も設立した。
 「今年も台湾興行をやる方向で動いている。着実に進化している。台湾で興行をやっているのは、中国に本格的に進出する大きな布石になるマーケットとして考えている」

 −−今後アジア進出のために必要なことは。
 「プロレスをたくさん流すこと。映像として見せなきゃダメ。まずは今年2年目の台湾。3年連続でやれなかったら意味がない。3年連続で出来たら、地盤も固まってきたようなもの」

 −−今、プロレス界に改めて注目が集まっているが。
 「三沢光晴さんが亡くなって思ったのは、お別れ会であれだけの人数(2万6000人)が献花に訪れたのを見たら、プロレスってすごいなって思うよ。痛ましい事故だったけど、守らなきゃいけない、無くしちゃいけないってのはすごく感じた」

 −−今後の全日本の将来設計は。
 「いいタイミングで世代交代したいよ。オレの理想は、次の若いヤツが出てきたほうがいいと思っている。小島(聡)、カズ(・ハヤシ)、諏訪魔とかいっぱいいる。こいつらが『オレがやりますよ』って言えるような環境を作ってやりたい」

◎コラボの極致F-1タッグ
 武藤体制にシフト後、独自路線を突き進んできた全日プロ。その最たる例がコラボレーション企画だろう。内田取締役が“専売特許”と語るように、これまで全日プロはセクシー女優、アイドルなどと合体。その中でも、F(FAKE)-1タッグ選手権はブランドとして確立した。
 F-1タッグは、お笑い芸人とプロレスラーがタッグを組み、リング上で対決するタイトルマッチ。ファン感謝デーや武藤祭など年に2、3回行われ、会場は常に満員となる。プロレスの技術はもちろん、モノマネという普段は見られないプロレスラーの一面を見られるのも人気の秘密だ。
 過去には、ダチョウ倶楽部の上島竜兵やはなわらが挑戦したが、現在V7中の“絶対王者コンビ”武藤&神奈月のW武藤組の牙城を崩せず。王者組は昨年大みそかにはW武藤としてゴールデンタイムにも進出し、勢いはとどまることを知らない。
 「まだまだやりたい企画はいっぱいある」と内田取締役。その飽くなきチャレンジスピリットが武藤全日本をここまで支えている。

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