水樹奈々は圧倒的な歌唱力を武器に、声優初のオリコンチャート1位、声優初の西武ドーム公演など、様々な記録を打ち立てきた。その自叙伝となれば、さぞ華やかで輝くばかりの成功の歴史が書かれていると思いきや、その予想は本を開いた直後のプロローグで覆される。
この自叙伝は「情けない皆勤賞だった。」という一言から始まる。ファンの方なら知っていることだが、彼女は高校時代に堀越学園の芸能活動コースに在学していた。数多くの芸能人を輩出してきたこのコースで欠席がないというのは、仕事がないということ。他のコースの生徒から、「あの子が芸能コースにいる意味って、なんなの?」と影口を叩かれ、担任教師にも「ところで奈々さんはいつデビューするの?」と、ことあるごとに言われる日々だったという。生活面でも仕送りが三万円の極貧状態。追い打ちを掛けるような所属事務所の倒産による退学危機など、華やかさとは程遠い苦労の連続が本人の文章で赤裸々に綴られる。
そして、デビューまでの苦労話以上に、この本で心を打つのが父との関係だ。演歌歌手を目指して休むことなくレッスンに励んだ幼少期。「マイクに頼っているようじゃ、演歌歌手にはなれんぞ」と、歯科技工士である父親の仕事場で、騒音と粉塵の飛び交う劣悪な環境の中での声出しトレーニング。まるで往年のスポ魂マンガの世界。きっと父親と地方のカラオケ大会や発表会を回る過酷な日々が、長くデビューの決まらない不遇の時代を耐える忍耐力を培ってきたのだろう。この本全体を通して、父親との絆の深を感じされる文章が随所に見られる。しかし、一番成功した姿を見たかったであろう父親が、彼女ライブを一度も観ることなく2008年に約十年の闘病生活の末に亡くなってしまった悲しい現実。これがもっとも読む側の心に深く響く。
歌手活動10周年記念の自叙伝なので、もっと無難にまとめても、誰も文句はいわないはずだ。ここまで踏み込んだ内容にしたのには正直、驚いた。大きな壁にぶち当たって悩んでいる人にはぜひ読んで欲しい。きっと励みになることだろう。(斎藤雅道)