「香取がジャニーズを辞めた後、事務所は香取の代わりを入れてくることが予想される。となれば、欽ちゃんが“香取君が出ないならボクもや〜めた”と言うのは目に見えていますからね」
とは、日テレ関係者。
『仮装大賞』は、萩本欽一(76)と故・坂上二郎の『コント55号』が絶頂期の頃、大晦日に放送された『コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!なんてことするの!?』の中の企画として放送されていたものを、'79年に萩本の司会で『全日本仮装大賞』としてスタート。23年間、萩本が単独で司会を務めてきた。
「その間の'85年には、欽ちゃんが当時のレギュラー番組をすべて降板して休養に入るんですが、『仮装大賞』だけは出演したんです」(元番組スタッフ)
これには、当時の番組ディレクターが“欽ちゃんが主役の番組は欽ちゃんが辞めると言えば終わりだけど、これは素人さんが主役の番組。主役の素人さんが辞めると言っていないのに、司会の欽ちゃんが勝手に辞めるとは言えないんじゃないの”と説得し、萩本が思い留まったというエピソードが残っている。
そんな経緯を乗り越え、2002年の第65回以降は香取が司会に加わって、番組名も『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』となり、香取が萩本のアシスタントをする形となった。
「実は、香取が加わる前に欽ちゃんが“辞めたい”と漏らして、スッタモンダしたことがあったんです。ところが、香取が入ってからは“香取君と一緒だと楽しい”となって、番組が続いている。とはいえ、当初は年2回の放送でしたが、莫大な制作費がかかるために'14年からは年1回になったんです」(番組関係者)
そもそも、萩本とSMAPには深い関係がある。
「SMAPメンバーは無名時代、全員、欽ちゃんの番組のオーディションを受けているんです。その中で合格したのが、草なぎ剛と木村拓哉の2人で、合格後は毎週のように欽ちゃんの稽古を受けに通っていたのですが、木村は途中で来なくなった。一方の草なぎは、欽ちゃんの番組から出て人気を博したグループ『CHA-CHA』の前身グループに所属していたのですが、デビューの直前に脱退している。その際に草なぎは、そのスター性を見抜いていた欽ちゃんから『あいつら(CHA-CHA)と一緒にいるとくすむから逃げなさい』とアドバイスされたそうです」(スポーツ紙記者)