歴史上経験したことがない規模の大震災に見舞われた日本列島。
2011年3月13日、日常はいとも簡単に破壊され、格闘技イベントのみならず、様々なイベントが中止とならざるをえない厳しい現実が横たわっていた。
日本の現状、災害の映像はすぐさま全世界へ報道され、普段から「地下に国境なし」のポリシーのもと世界各国で闘いを繰り広げる地下戦士たちのもとにも、様々な国の戦友たちから安否を気遣うメールが送られてきた。
しかし、常に大会前日、もしくは当日に送られてきていた対戦カードが記された「フランスからのメール」は、やはり今回に限っていっこうに来ない。日本の状況から判断した「事実上中止」という選択だ。
しかし、ただでさえファンにとって情報収集が難しい地下プロレス。
「来たくても交通手段が閉ざされ来場できない、または現状を見て来場を自粛する会員様も多かろうが、そのまま会場に来られる会員様もいる」
そう判断した選手たちの決断は早かった。
2008年7月21日の日本初上陸以来3年間、フランスの地下本部からのメールによって運命を左右され続けた地下戦士たちだが、この日ばかりは「自らの意志」によってコアスタジアムに集い、来場した会員様への無償の対応をはかろうとしたのだ。
案の定、一部の地下フリークたちの足はその日もコアスタジアムへ向けられていた。新宿歌舞伎町地下の要塞、地下闘技場へ続々と集まる会員、選手。
皆それぞれ個人的事情を抱える時期であるのは明らかなのに、何の号令があったわけでも、何のメリットを得られる保証があるわけでもないのに、ここに集まってしまった…。それは3年間に渡って無言のうちに築き上げられた、地下会員と選手たちの間に生まれた「信頼」、「絆」のなせる業なのかもしれない。
万が一の場合に備え、閉ざされた地下からの「EXIT」の場所と、脱出方法を全員で確認し、常に手荷物を身近に置いておくなどの注意がなされた上で、「幻の地下プロレス」は開催された。
まずは、ネパール無差別級王座を手みやげにネパールから帰国したばかりの富豪2夢路、WUW地下世界王者紅闘士也を中心とした選手たちのトークショー。
ネパールでの戦慄体験と、国際的な日本人の思考改革の必要性を熱く訴えた夢路と紅。自らの五体のみで、紅はタイでタイ人を倒しムエタイのベルトを、夢路はネパールでネパール人を倒しプロレスのベルトを持ち帰った、いわば「格闘戦争体験者」だ。説得力のある言葉一つひとつに会員たちはどんどん引き込まれ、照明も音響もない地下室で極上のエンターテインメントが形成されていく。その体験談は考えさせられるもの、スリル満点なもの、痛快なものと途切れなく、気がつけば40分が過ぎていた。
この時間、余震は落ち着いていた。それを見はからい会員たちの期待にこたえる形で、
「我々に15分時間をください。気持ちと体を切り替えて、10分だけ試合をします」
という夢路の言葉でそれは始まった。
選手たちの気持ちはひとつだった。皆、試合コスチュームを持参していたのだ。
ロープも張られていないままのコアスタジアムで紅闘士也、矢野啓太、ナイトキング・ジュリー対富豪2夢路、小笠原和彦、入道の6メンタッグマッチ10分一本勝負が発表された。
突然の展開に、会員たちの喜びと期待が地下室に充満する。
はたして試合は、実に2年ぶりの直接対決となる紅対夢路で始まり、いつもの地下プロレスと何ら変わらぬ壮絶な展開が繰り広げられた。
各選手の汗と気持ちが飛び散る「幻の10分間」が過ぎ、拍手に包まれる会場。
試合後に夢路は
「俺には、フランスから教わった地下の価値観がしっくりくる。ネパール無差別級を取って俺も絶好調。紅の持つ地下最高峰・WUW世界地下王座に挑戦したいと、フランスにメールを送ってみるよ」
と語った。
「闘いの『真」の姿がここにはある」
とは小笠原の言葉。
こうして突発的に生まれた信頼の無料イベントは幕を閉じた。
次回3月27日[EXIT-65 WANNABEE2]@高田馬場アレイズでは、事態が少しでも鎮静し、皆が笑顔で集うことを祈るばかりだ。
(山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou