自分の想像では浅田家に姉が嫁いでいるようなので一度会わせていただきたい、それからあらためて父母にも会いたい、古い日記を見ただけなので詳しいところは全くわからないので、いろいろと教えていただきたい、どうか力になってください、と徳次は懇願した。洋次郎に話しているうちに徳次は自分が肉親の情にどれだけ飢えていたか、あらためて実感していた。
洋次郎は徳次が話し終わると、「私はお前さんのことをよく覚えている。本当によく来てくれた」と言った。そして今度は洋次郎が話し始めた。父母は2人とも他界していた。「2人とも死んだのですか…。そうですか…」とすっかり力を落としている徳次を洋次郎はいたわるような眼で見ていた。そして話題を変えるようにして、次々といろいろな事実を教えてくれた。
姉と言ってもそれは徳次の姉ではなく、自分の母親が徳次の父・政吉の姉であること。つまり徳次と洋次郎とは従兄弟同士だった。
政吉と花のそれぞれの実家のことや、徳次の姉、兄のこと。洋次郎は知っていた。「花叔母さんは和歌や漢詩に英語も習っていた。政吉叔父さんと一緒になる前は明治の初年に愛媛県知事を務めていた関新平という佐賀の生まれの人の元に嫁いでいたんだ」。洋次郎の話では、花は関家で娘を一人産んだ後、娘を残して実家に戻されたそうだ。
「政吉叔父さんは若いころ、大和屋に見習い番頭として奉公していた」