この映画は三好昭・邦江夫婦が破傷風にかかった娘・昌子を看病する間起きる様々な、苦難や人間模様を切り取った作品となっている。原作は作家の三木卓氏が75年に発表した同名小説となっており、実際に三木氏が、破傷風に感染した実の娘との闘病記をモチーフに書いていている。実は原作を読んだことがないので、なんともいえないが、映画での表現方法は闘病記のそれではなく、完全にホラーに寄った演出をしているのが特徴だ。
破傷風というと、予防接種普及や生活環境の清潔化などにより、最近どころか、おそらく映画公開時も馴染みの薄い感染症だろう。しかし現在も海外渡航時に必ず予防接種を打つことを推奨されており、一度発症するとかなりの苦痛を伴い、死亡率も高い恐ろしい感染症だ。症状としては歩行障害から始まり、呼吸困難や激烈な全身性の痙攣発作、場合のよっては痙攣により脊椎骨折を伴う場合もある。この辺りは映画でもっと詳しく説明されているので、気になった人は注目してもらいたい。
とは言っても、病気の説明はこの映画の便宜上の“悪役”として置いているため必要なだけだ。本編を観ると、突然歩行がおかしくなった子供が、急に「ギイィィィィィィ!!」と叫び声を上げて痙攣を起こすなど、まるで『エクソシスト』で悪魔に憑かれたかのような表現が満載となっている。破傷風や、同様に日光を浴びると激痛が走る狂犬病は、病原菌の発見がどちらも1800年代末だ。という訳で、これらの症状が感染症と知られていない時代は、日本では「狐憑き」、海外では「悪魔憑き」などと呼ばれこともあった。そう考えると、この表現はある意味間違ってはいないのだろうが、当時がオカルトブーム真っ只中だったこともあり、クレームが来ても構わないという姿勢を感じるほどの、シーンの数々に、観る側は衝撃を受ける。
とにかく映像が強烈の一言に尽きる。発作が起きる度に、昌子の口の周りが血まみれになるシーンは、悲痛さがこれでもかと伝わってくる。症状が進むとエビ反りになって苦しむシーンなどもあるのだが、これもまた、凄みがあって、思わず目を背けたくなるほどだ。子役の演技がかなり上手いこともあり、より緊迫感が増しているのも特徴だ。
さらに、効果音もかなり不快というか、観る側の恐怖を煽るようになっている。破傷風というのは周りの些細な振動でも、激痛が走る事があるそうだが、その発作の発端となりそうな、他の病室の子供達が騒ぐ音や、食器などが落ちる音が、ねっとりと映像と合わせて挿入されている。これはもう完全にホラーの演出で「また発作シーンが来るぞ…」と観る側に恐怖を煽り立てる。
他にも発作で舌を噛んで窒息の危険性がある場面で、医者が「この子の歯、乳歯? また生えてくるからいいよね!」と気道確保の為に前歯をへし折って器具を挿入するシーンなどでも、「ゴリゴリ!」と生々しい音がする。後半に登場する人工呼吸器の「フゴー! フゴー!」という音も、普段の生活音と明らかに違う音で不快感を煽る。やっていることは医療行為なのだが、医療ドラマのような小奇麗さはない。ただただグロテスクな雰囲気で、人が感染症にかかると、こうなってしまうのかと、普通の闘病記作品より、恐ろしさを感じることだろう。
また、この作品では、娘の破傷風を通じての、“家族の崩壊”も魅力のひとつだ。娘の症状が進行していくごとに、看病する側も、明らかにおかしくなっていく。特に母親の邦江がノイローゼ気味になり、病室で果物ナイフを持って「治療をやめて!」と暴れるシーンや、その後怖くなり、病室に入れなくなるシーンなどは、看病する側の追い詰められている感じが、強烈に出ている。邦江を演じる十朱幸代の表情が、看病が長引くにつれ変わっていくシーンはかなり恐怖だ。人から人へ破傷風が伝染することはないと医者に何度も説明されているのに、「顎が動かない」と破傷風が移ったと主張する場面の表情などは、もう最初とは完全に別人のようになっている。
父親の昭を演じる渡瀬恒彦も同様に、段々と人間味を失っていく表情が印象的。娘に発作が起きる度に、病的な顔を浮かべて院内を走り回る光景は、かなり緊迫感がある様子で描かれており、観るこちら側まで、「また何かあったのか」と、つられて疲れて来てしまうほどだ。最終的には邦江が「(娘を)産まなければ良かった」とまで言い放つが、この言葉に思わず納得してしまいそうな気持ちにすらなってしまう。
最終的に娘の昌子の症状は回復に向かって、ハッピーエンドでこの映画は終わるのだが、特に感動的というわけでもなく、呼吸器が取れた後の昌子の「チョコパン食べたい」という言葉にホッとする程度だ。しかもそれまでの間、この作品では、苦痛や恐怖、狂気を観続けることになる。ホラー映画なら、恐怖を感じさせつつも、暗に笑いを誘発する演出や、箸休め的なシーンもあるが、この作品にそんなものは存在しない。観終わって残るものと言えば「破傷風って怖い病気だな…」というイメージくらいか。爽快感はないが、心にズシンとくる作品だ。おそらく現在なら自主制作でもない限り、こういったタイプの映画は制作されることはないだろう。当時の映画文化の豊かさを噛みしめつつ、この作品に恐怖してもいいかもしれない。
(斎藤雅道=毎週金曜日に掲載)