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ポップ・ロックバンド「PILOT」初来日独占インタビュー

 1970年代中盤、軽快なメロディーに青春の甘酸っぱい詩を乗せた数々のヒット曲で人気を博した4人組ポップ・ロックバンド、PILOT。解散から30年を経て、ついに今年、創設メンバーのデイヴィッド・ペイトン(リード・ボーカル、ベース)とスチュアート・トッシュ(ドラムス、パーカッション、ボーカル)を中心に再結成し、待望の初来日を果たした。2人に再結成のいきさつと今後の活動の展望を聞いた。

 −−昨夜のコンサートはすばらしかったです。あなた方のヒット曲が生で聴ける日が来るなんて、夢のようでした。ところで、どんなきっかけで、日本で再結成ライブを行うことになったのですか?
 デイヴィッド・ペイトン(以下DP)「今回来日したのは、ファンのみんなが呼んでくれたからだ。数年前から日本でPILOTのライブをして欲しいというリクエストが高まり、プロモーターを探していた。それを知った(会場兼招聘元の)クラブチッタ側が呼んでくれた。いろんな条件が合って、実現できた」

 −−サポートのケリー・ブラウン(ギター)とケニー・ハッチソン(キーボード)はオリジナルに限りなく近い音を再現できていたと思いますが、オリジナルのギタリストであるイアン・ベアンソンが今回の来日に参加できなかった理由を教えてください。
 DP「物理的に、輸送の問題があった。彼はスペイン在住なので、一緒に練習するのが大変なんだ。また、彼が他のツアーに参加していたという、スケジュール上の問題もあった」

 −−ケリーとケニーはどういういきさつで今回のサポートに入ることになったのですか?
 DP「彼らがPILOTに入って2年になるね。それ以前から僕らはとても多くのライブで共演してきた。彼らはPILOTの音楽を敬愛しているし、それを再現する技量も持っている」

 −−初めて訪れた日本の印象はいかがですか?
 DP「いいところだろうと期待していたが、予想以上にすばらしい。特に人々が皆礼儀正しい。それに、日本のファンは、とても感情表現が豊かで、喜びがストレートに伝わってくる。日本に来られて本当に良かった。クラブチッタのスタッフも皆プロフェッショナルで、行き届いているのがうれしいね」

 −−日本食や日本酒も気に入ったとか。
 DP「来日初日に、日本酒をしこたま飲み過ぎてしまった(笑)」
 スチュアート・トッシュ(以下ST)「実はその時ワインも飲んだんだよ。日本酒の前にね」
 DP「日本食も、きのう焼き鳥や手羽先を食べたが、すごく気に入った」

 −−スチュアートは10ccとして来日して以来12年ぶりですが、その時と比べて、どうですか?
 ST「過去3回10ccで来て、今回がPILOTとして初めてだけど、曲が終わるごとにファンが拍手して声をかけてくれて、今回が最高にいい時間をすごしているよ。きのうは、わざわざロサンゼルスから駆けつけてくれた日本人ファンもいて、とてもうれしかった」

 −−デイヴィッド、昔の話を聞かせてください。PILOTはアラン・パーソンズ・プロジェクトに参加する形で発展的に解散しましたが、当時、あなたが中心となって他のバンドを結成するとか、ソロで独立するプランはなかったのですか?
 DP「80年にソロ・アルバムをレコーディングしたけれど、発売されなかった。解散の一番の原因は、やはりマネジメントが最悪だった。アラン・パーソンズとは、僕らがEMIと契約した時に会社が提示した10人のプロデューサーから彼を選んで以来の関係だ。ソロに関しては、今まさに活動しているところだよ」

 −−イアンたちとキーツ(Keats)というグループを結成したこともありましたが、アルバム1枚で終わってしまったのはなぜでしょう?
 DP「キーツはアランの相棒のエリック・ウルフソンの構想でできたバンドで、グループ名の由来はハムステッドにあったレストランの名前だった。僕らはレコーディング後、よくそこで打ち合わせや食事をした。でも、僕らはほかにもそれぞれ仕事があって、キーツに集中できなかったので長続きしなかったんだ」

 −−曲作りについてお聞きします。あなたの書く詞はどれもまるでラブレターのように感じられますが、これらはどういう時に思いつくのですか?
 DP「妻に向けて書いている。ほかの女の人のために書いたら妻に殺される(笑)」

 −−ビリー・ライアルと何曲か共作していますが、あなたにとってビリーはどういう存在でしたか?
 DP「実際には2人で曲を合作することはなかった。彼はよきライバルで、互いに曲を書いては相手に聴かせ、聴かされた方はもっといい曲を書くというように、切磋琢磨しあったよ」

 −−スチュアートにとっては?
 ST「彼とはデイヴィッドを通じて知り合った。とても才能があった」

 −−今後、英国で凱旋ツアーを行う可能性は?
 DP「難しいな。英国で『ジャニュアリー』『マジック』はヒット曲として有名だけれど、それを歌ったPILOTの名は知られていない。コンサートをやっても、お客が入らないだろうね。僕らはむしろ豪州で人気で、8月に参加したオムニバス・ショーでは7回の公演で10万人を動員した。豪では『ジャニュアリー』は11週連続1位を記録しているんだ。ビートルズもできなかった記録だよ」

 −−それはすごい!影響を受けたミュージシャンを教えてください。
 DP「大勢いるけど、やはりビートルズだね」
 ST「ビートルズと、ビーチボーイズ。彼らのハーモニーが好きだった。ドラマーではバディー・リッチ、リンゴ・スターだね。息子のザック・スターキーもいいね。あとホリーズのボビー・エリオット」

 −−PILOT名義の好きな曲を挙げてください。
 DP「『マジック』は外せないな。うーん、『ライブラリー・ドア』『ユー・アー・マイ・ナンバーワン』『トゥー・ユー・アローン』かな」
 ST「『ハード・イット・オール・ビフォア』『ジャニュアリー』」

 −−ニュー・アルバム『フェロー・マン(Fellow Man)』が出たばかりですが、どんなコンセプトの作品ですか?
 DP「タイトルは仲間という意味で、豪州ツアー中に思いついた。人類の将来に対し、僕が抱いている疑問『これからどうなっていくのだろうか』ということをコンセプトに曲を書いた」

 −−来年また日本でライブをやってくれますか?
 DP「ぜひやりたいな。次は東京だけでなく、他の都市も回りたいね」

 一夜限りの日本公演とあって、補助席まで出る盛況ぶり。バンド発祥の地エディンバラの位置をタイトルにしたインスト曲で開演。会場は40〜50代中心、当時のアイドル的人気とは裏腹に、男性ファンが約8割という印象。PILOTの代名詞ともいえるハンドクラップが随所で飛び出す観客の好反応に、終始笑顔を絶やさないデイヴィッド。曲目は、日本で出たシングル全曲を含め、4枚のアルバムからまんべんなくセレクト。新曲「Fellow Man」などデイヴィッドのソロからも選び抜かれた全22曲。第2部ラストの大ヒット曲「Magic」では総立ち。「32年、この日を待っていました」と涙するファンの姿もそこここに見られた。
 なお、翌18日には雑誌「ストレンジ・デイズ」の通巻100号記念イベントでトリを務め、11曲を演奏。1曲目から総立ちだった。

[第1部]
55°North 3°West
You'reDevotion
PennyInMyPocket
DoMeGood
Goldmine
TheSearch
OverTheMoon
Smokin'Drinkin'
IWonder
January
[第2部]
You'reMyNo.1
LovelyLadySmile
GetUpAndGo
Canada
IWant
Don'tSpeakLoudly
FellowMan
NoTiesNoStrings
CallMeRound
Magic
[アンコール]
LibraryDoor
JustASmile
(11月17日、川崎・クラブチッタ)

 デイヴィッド・トムソン・ペイトン
 1949年10月29日、エディンバラ生まれ。ビリー・ライアル(キーボード)、スチュアート・トッシュとともにPILOTを結成、間もなくイアン・ベアンソン(ギター)も加わり、74年6月レコードデビュー。アルバム4枚を残し解散後はアラン・パーソンズ・プロジェクトを主な活動の場としつつ、キャメル、エルトン・ジョン、リック・ウェイクマンらのステージ・サポートで活躍。90年代以降は地元スコットランドを主な拠点に音楽活動を行っている。2002年にベアンソンと過去のアルバムを再録音した『ブルー・ヨンダー』を発表。今月、4枚目のソロ・アルバム『フェロー・マン』が出た。

 スチュアート・マクベス・トッシュ
 1947年9月26日、アバディーン生まれ。サード・アルバム録音後の76年7月にPILOT脱退、翌年5月10ccに加入。解散後はミュージカルの世界に軸足を移し、現在ではライフワークといっていいほどの比重を占めている。なお、77年10月に初来日、93年と95年にも再結成10ccとして来日公演を行っている。

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