結果的に“デキ婚”となってしまったが、おおむね世論は興毅に好意的だ。かつては父・史郎氏(46)の演出で、ビッグマウスで生意気な言動を続けていた興毅だが、最近はそれも改め、ワルのイメージはかなり払しょくされてきた。結婚については中学2年から、実に12年近くも交際を続けた一途な愛を貫いたとあって、「見かけによらず純粋」と上々の評価。また、挙式、披露宴の日にちを交際を始めた記念日に決めたあたりは、ロマンチックで世の女性からの評判もいいようだ。
今はやりの“デキ婚”は、一般的には子どもができてしまったから、慌てて結婚を決めるパターンが多いのだが、興毅の場合は事情が違う。興毅は交際を始めてから、愛の営みの際にはちゃんと“下半身の防具”を着用し続けてきたことを、マスコミにも明かした。その点はいまどきの若者にしては、しっかりしていたようだ。「3階級を制覇して、25歳になったら結婚する」と決めていた興毅は、昨年11月17日で25歳となった。「結婚も決めていたし、ええかな」と思って、初めて“防具”をはずして子づくりにトライ。興毅によると、初めての子づくりで一発で“命中”したという。交際12年、同棲を始めてから実に7年。実質、夫婦同然であったわけで、いわゆる一般的な“デキ婚”とはちょっとワケが違うのだ。
子どもの性別はまだ不明だが、男の子だった場合、ボクシングを教えるという興毅は、「兄弟がいたら楽しいから全部で3人は欲しいな」と子づくり構想も明らかにした。今回の件では、一般の人が興毅の素顔を知るいい機会にもなったであろう。なんともほほえましい話だ。
(落合一郎)