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歌舞伎役者を略奪で思い出す、近藤サトの略奪婚 子作り禁止令が出るほど梨園の風当たりが厳しかった?【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

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貴城けい

 女優の鈴木杏樹が、6日発売の『週刊文春』(文藝春秋)に劇団新派の俳優・喜多村緑郎との不倫を報じられ、それぞれの所属事務所を通じて報道内容を認め、謝罪した。

 鈴木は1998年6月に外科医と結婚したが、13年2月に死別し、現在は未亡人である。一方の喜多村は、13年に元宝塚歌劇団宙組トップスター・貴城けいと結婚している妻帯者。鈴木は、「今年に入って、お相手から独り身になるつもりでいるというお話があり、お付き合いを意識するようになりました」と釈明しつつ、「しかし、まだお別れが成立していない現状、今回の軽率な行動を真摯に反省」と心境を明かしたが、このコメントにメディアからも苦言が出る結果となった。

 喜多村は、1988年に市川段四郎に入門し、市川段治郎の名で活動。その後、市川猿之助(現:猿翁)の部屋子となり、11年に市川月乃助を襲名した元歌舞伎役者である。歌舞伎の世界では、派手な女性関係は“芸の肥やし”とも言われ、業界内では暗黙の了解のようだ。

 これまで数ある歌舞伎役者の不倫騒動だが、かつて、歌舞伎界の“略奪不倫”で話題を集めた、フリーアナウンサー・近藤サトはスピード離婚して話題になった。

 近藤というと、1991年にフジテレビ入社後、知的さや美貌を活かし『FNN NEWSCOM』や『FNNスーパータイム』(ともに同局系)週末版などの報道番組を担当したほか、情報番組のナレーションやバラエティ番組のアシスタントも務め、お茶の間の人気者に。98年9月に同局を退職、同年11月に歌舞伎俳優の5代目坂東八十助(後の10代目坂東三津五郎さん)と結婚し、梨園の妻となった。

 だが、三津五郎さんにとって近藤は後妻であった。三津五郎さんは、1983年に元宝塚歌劇団のスター・寿ひずると結婚し、2人の娘と跡取りである長男・巳之助をもうけ、幸せな家庭生活を送っているように見えた。だが、96年12月に近藤との不倫が発覚。三津五郎さん一家は崩壊し、97年に離婚へ至った。

 そして、不倫の末、2人は晴れて夫婦になったのだが、わずか2年弱で離婚。当時、近藤は離婚会見を開き、「私は結婚に対して子供ができることを望んでおりました。しかし、誰かの意思によって阻まれるというのは、私にとって理解できませんでした」と訴え、大きな話題と関心を集めた。
 「すでに三津五郎さんには巳之助が後継者としていたために、後継者争いを防ぐ目的で子作りが禁止されていたそうです。不倫の末の結婚は、近藤への風当たりも厳しく、後援者やごひいき筋からは肩身の狭い思いをさせられ、さらなる追い打ちをかけられたといいます。また、三津五郎さんの連れ子たちとの確執も噂され、特に巳之助は、父親の不倫騒動で負った心の傷は相当なものだったようです。家庭内暴力や高校を中退しては荒れた生活を送り、近藤への増悪は深まるばかりで家庭内がうまくいかなかったと聞きました」(芸能関係者)

 近藤は、2003年12月にイベントプロデューサー・今岡寛和氏との再婚と妊娠を発表。04年6月に悲願の長男を出産し、ようやく我が子を手にした。一方の三津五郎さんは、15年2月にすい臓がんのため死去。近藤は、このとき追悼のコメントを出しているが、巳之助は快く思っていなかったことが一部で報じられている。

 歌舞伎界だろうが、男女問わず不倫は決して許されない行為である。だが、それでも不倫に走る女性は、「愛した人にたまたま妻がいた」のか、あるいは「妻がいる人を愛した」のかでも他人の捉え方は変わっていく。言うまでもないが、鈴木は後者であることが、残念でならない。

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