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2008プロ野球10大ニュース 原巨人「メークレジェンド」リーグV

 西武が12球団最年少の渡辺久信監督の下で4年ぶりの日本一に輝き、アジアのナンバーワンの座も手にして幕を閉じた2008年のプロ野球。歴史的な逆転劇、偉大な記録を築く者、現役を退く者…。記憶に残るプレーが多かった今年1年間を振り返る。

 08年のプロ野球最大のニュースは、巨人のセ・リーグ2連覇だ。
 リーグ史上最大の13ゲーム差をひっくり返しての大逆転は、若手選手たちの予想を超えた成長が大きかった。
 シーズンの滑り出しは最悪だった。開幕のヤクルト3連戦3連敗を含めて5連敗でスタート。ベテラン勢が出遅れ、けが人も重なったことで春先は苦しんだ。
 いきなりの試練により、指揮官の起用方針は変更を余儀なくされた。「名前ではなく、コンディション重視で先発メンバーを決める」。実績に左右されることなく、状態のいい選手を積極的に使った。このチャンスを若手が見事にものにした。
 投手陣では越智、山口、西村健らが中継ぎに定着。野手では19歳の坂本が遊撃の定位置を奪い、結果的には全試合に先発出場を果たした。外野手では亀井、鈴木尚が一皮むけ、二岡や高橋由の不在を感じさせない活躍ぶりだった。クルーン、グライシンガー、ラミレスと新加入の外国人選手も期待通りの数字を残し、巻き返しに貢献した。
 交流戦では優勝争いを繰り広げ、不振にあえいでいた上原や李承●(●は火へんに華)も北京五輪を境に復調した。対照的に首位を独走していた阪神は北京五輪後に失速した。9月下旬には32年ぶりの12連勝(1分け挟む)も記録するなど、夏場以降の猛烈な追い上げで、ついに143試合目の10月10日、2連覇を達成した。劇的な大逆転優勝は「メークレジェンド」と称された。
 日本シリーズでは西武に一歩及ばなかったが、数年来の課題である「育てながら、勝つ」を実践した今季の戦いぶりは、今後に期待を抱かせるものとなった。原監督は「意義ある素晴らしいシーズンだった」と総括した。

 来年3月に行われるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表監督に巨人の原辰徳監督が決まった。サムライジャパンの愛称で連覇を目指す。

 10月28日、加藤良三コミッショナーから就任要請を受けた原監督は、無数のフラッシュを浴びながら「日本代表は誇りであり、あこがれ。強いチームをつくる力になりたい」と、はっきりした口調で話した。
 当初、北京五輪の日本代表監督を務めた星野仙一氏がWBCでも指揮を執る予定だった。北京五輪でメダルなしの惨敗に終わったが、あくまでその方針は変わっていなかった。
 五輪閉幕直後に巨人の渡辺恒雄球団会長が「星野君のほかにいるか」と発言。星野氏自身もテレビ番組などで開き直りとも取れる発言を繰り返したことで、世間の批判が集中した。
 2カ月近く難航した監督選考。米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手が発したひと言が流れを変えた。「本気で最強のチームをつくろうとしているとは思えない」
 加藤コミッショナーも「野球界においても世代交代は必要」と話し、既定路線だった星野氏は候補から消え、セ・リーグ連覇を果たした原監督の名前が急浮上した。
 大会2連覇の期待と重圧を一身に集める原監督は「全身全霊をもって務める」と決意表明した。

 オリックスの清原和博が波瀾万丈の23年間にわたる現役生活にピリオドを打った。
 1軍の舞台に戻ってきた時、清原は今季限りでユニホームを脱ぐことを決めていた。遠征先では顔を合わせた球界関係者に、自らの決断を伝えて歩いた。41歳の誕生日だった8月18日の西武戦。敵地で古巣との試合後、正式に引退の意思を表明した。
 西武と巨人で8度の日本一に貢献した清原も、最後は代打専門だった。一流の投手が全力で投げ込む球にはどうしても振り遅れてしまった。限られたチャンスで好結果を残そうと必死だった。一方で「その球なら大丈夫だ」と投手にアドバイスも送り、野手にもロッカールームで、打席に立つ時の心構えを伝えた。自らが培った技術を惜しみなく伝授することが清原流の恩返しでもあった。
 現役最後の試合となった10月1日、京セラドームでのソフトバンク戦。各界の著名人が駆けつけ、異様な雰囲気が球場を包む中で「4番・指名打者」で出場した。最後まで直球勝負を挑んできた杉内に豪快なフルスイングで応じ、プロ野球人生に終止符を打った。
 「一番三振して、一番死球に当たり、一番サヨナラ本塁打も打った。もちろんタイトルは取りたかったけれど、これ以上求めたら罰が当たる」
 清原の目に、少しの悔いも見られなかった。

 4位は、渡辺久信監督率いる西武の日本一。
 昨年は26年ぶりとなるBクラス。和田、カブレラと両主砲が抜けた。チームを率いるのは、12球団最年少の新監督とあって、開幕前の評価は高くなかった。だが、若き指揮官は「低評価を見返そう」を合言葉にチームをガラリと変ぼうさせた。
 「試合中のミスは責めない」というベンチの大方針と、名物となった早出特打などの豊富な練習量で、長打力と機動力を併せ持つ圧倒的な打線を生み出した。片岡、栗山の1、2番コンビが俊足でかき回し、中島やG・G・佐藤、中村が長打でランナーを帰す。故障や北京五輪で主力を欠いても、サブの後藤やボカチカらが穴を埋め、4月から1度も首位を譲ることなくリーグを制した。「汗と涙の結晶が形になった。忘れられない優勝」と男泣きした若き指揮官の姿が印象的だった。
 西武は勢いに乗り、ポストシーズン、日本シリーズも制して日本一に。さらにはアジアシリーズも制してアジア一の座にまで上り詰めた。低評価を覆し続けた1年が終わり、来季は追われる立場。渡辺監督は「黄金期を復活させたい」と腕を撫す。

 5位は、ソフトバンクの王貞治監督の辞任。
 9月23日、突然の退任発表だった。球団首脳が水面下で慰留に努めたものの、決意は固かった。孫正義オーナーには午前中に電話で報告。実兄の鉄城さんにも事前の相談はなかったという。24日は本拠地ヤフードームで今季最終戦。ファンに自らの言葉で別れを告げるため退任の意向を公にした。「プロ野球に入って50年。本当にいい人生を歩ませてもらった。心をときめかせてやらせてもらったのは、幸せだったと思う」と最後は晴れやかな表情だった。
 北京五輪では日本野球の威信が失墜した。星野仙一監督が「金メダルしかいらない」と豪語して臨んだ星野ジャパンは、1次リーグ4勝3敗の4位で進んだ準決勝で韓国に、3位決定戦でも米国に敗れメダル獲得はならず。
 楽天・岩隈久志投手は、チームが5位と低迷しながら、21勝4敗、防御率1.87、勝率8割4分で投手部門3冠を獲得。沢村賞にも輝いた。
 巨人が歴史的大逆転で優勝を遂げたのとは対照的に、首位独走から13ゲームをひっくり返されリーグ優勝を逃した阪神岡田彰布監督は責任を取って辞任。後任には真弓明信氏が就任した。
 08年は大記録も生まれた。阪神の金本知憲は、4月12日の横浜戦で通算2000本安打、5月には40歳1カ月で通算400本塁打を達成した。中日の山本昌広は、通算200勝。42歳11カ月での到達は史上最年長だった。
 横浜の内川聖一は、8月に4割4分9厘の高打率を残した。シーズンを終えての最終打率は3割7分8厘。ローズが99年に記録した右打者の最高打率を塗り替え、首位打者、最多安打、最高出塁率のタイトルを獲得した。
 次点には、巨人の上原浩治、中日の川上憲信の両投手の米大リーグ挑戦表明。FA宣言した2人。近年、高額の契約金で話題となる日本人選手のメジャー挑戦だが、今季は世界的な金融危機の影響が懸念されている。

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