その歌は、歌詞がほとんど「ネコ耳モード」と「ネコ耳モードです」という言葉のみで構成されていたのだ(曲の7割が、この2つのキーワードの連呼で作られている)。
こんな歌詞で、作詞家はちゃんと歌1曲分の印税を貰えるのか!? とか思いながらも、強力なインパクトを受けた私は早速、この歌について詳しく調べてみた。
それで分かったのだが、この歌「Neko Mimi Mode」は、2004年に放送されていたテレビアニメ『月詠』のOPテーマ曲であることが分かった。OPテーマということは、毎週、歌詞のほとんどが「ネコ耳モード」と「ネコ耳モードです」で構成されているこの歌から、『月詠』というアニメはスタートするのである。何気なくテレビを見ていて、この「Neko Mimi Mode」が流れているのを聞いたら、相当のインパクトがあったのではないかと私は思う。
私が「Neko Mimi Mode」を聴いて最初に連想したのは、「4分33秒」という音楽家であり詩人であり、思想家でもあるジョン・ケージの作曲した、ある曲のことであった。この「4分33秒」という曲は、実は無音である。ジョン・ケージのアルバムを聴いていても「4分33秒」という曲は、4分33秒間、無音の状態が続いているだけだし、コンサートでもこの曲の間はタイトルの通り、4分33秒間の無音の時が流れるだけである。
観客はこの4分33秒間の間に、周囲に流れている音を聴き、自分の周りにはいつも「音」が溢れているということを、この曲によって感じるのだといわれており、アート(芸術)として、この「4分33秒」は評価されているのである。
何だか、芸術という文化に親しくない自分のような人間の頭の中には「屁理屈じゃないか」とか「とんちみたい」なんて気持ちが思い浮かんでしまったりもするのだが、アートな世界ではこのような表現は多い。20世紀を代表するアートとして語られる「デュシャンの便器」などもそうだろう。アートの展示会場に既製品(商品として普通に売られている)便器を置いて、芸術作品として表現した。ただの便器も、置く場所(環境)を変えただけで芸術になるという表現である。
思うに、これは普通に売られているお米の袋に、美少女キャラクターのイラストを描き「萌え米」として、強引に萌えグッズの一つとしてしまうオタク文化と近い発想だといえないだろうか? そのように考えてみると、美少女ボイスな声優さんがただひたすら「お兄ちゃん」と言い続けるだけのCDアルバムや、本編とはほぼ関係ない美少女キャラクターとの雑談がひたすら繰り広げられるシーンが続く人気ライトノベル『化物語』など、オタク文化を構成するモノには、もはや「アート作品」と言ってしまってもよいのではないかと思われるモノが溢れているのではないだろうか?
日本の漫画、アニメは世界の最先端を行っている、とはよくいわれていることだが、日本の萌え文化は今や、キュビズムやダダイズム、シュルレアリスムに匹敵するような芸術の革命を起こしているのかもしれない…。
(「作家・歩く雑誌」中沢健 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou