「水子供養」の発祥は江戸時代といわれてはいるが、ところが一般的に知られるようになったのは1970年代中ごろであり、定着したのは80年代になってからといわれている。
「水子供養」が広まった理由として「戦後にフリーセックスなど性の乱れが広がったため、妊娠中絶をする女性が増えたから」ともいわれているが、人口中絶の統計を見ると、戦後最も中絶が多かったのは、1955年(昭和30年)の117万143件である。
以降、1965年(昭和40年)では84万3248件、1975年(昭和50年)では67万1597件、1985年(昭和60年)では55万127件(※参照:厚生労働省 国立社会保障・人口問題研究所発表資料より)と、妊娠中絶は減り続け、昨年の2009年では過去最少の22万1980件となっている。つまり、戦後妊娠中絶が減少していく中、1970年代中ごろから突如「水子供養」が流行しだしたのだ。
その理由としては、ある宗教団体と墓石屋が「水子地蔵」を大量生産・大量販売したことにある。これが当たった。当然、他の神社仏閣や新興宗教団体もマネをするようになり、日本に「水子供養」が定着するようになった。
筆者はここで「水子供養はただの霊感商法である」などと言うつもりはない。そんなことを言ってしまえば、宗教や占いもまた、ただの霊感商法ということになってしまう。
宗教にせよ占いにせよ、不安定な精神を持ってしまった人類にとって、上手に働けば救いとなるだろう。しかし悪く働けば、戦争の原因や権力の濫用(らんよう)にもなる。
「水子供養」が定着したのは、母親たちの罪の意識や我が子への想いがあり、需要と供給が満たされたからであるとも考えられる。事実、妊娠中絶をした女性たちの中には、精神的ストレスから「中絶後遺症候群」といわれる心身の病になってしまう人も少なくないという。そういった女性たちが「水子供養」を受けることによって、少しでも救いになるのであれば、それはそれでいいことなのかもしれない。
ただ、江戸時代では、本来「水子」は神の子とされ、たとえ流産や死産、中絶をしたとしても、それは神の元に帰るのであり、親を怨んだり祟ったりするという考えはけっしてなかった。そもそも、まだ世にも出ていない胎児が「親を怨み、親を祟る」などという発想はなかったのだ。
もし、現代の「水子供養」に「水子を供養しないと祟られますよ」とか「あなたがいま病気なのは水子を供養していないからです」などと恐怖をあおり、心身ともに弱っている母親に高額な供養料を求めるようなところがあるとしたら、それはいかがなものであろうか? と思うのである。
巨椋修(おぐらおさむ)(山口敏太郎事務所)
山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
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