たとえば、大阪府立茨木西高校。同校からは、ナインティナイン・矢部浩之と岡村隆史がそろって生まれている。ふたりは1学年違いで、岡村が先輩。ともにサッカーで汗を流しあい、卒業後、立命館大学に進学していた岡村を矢部が誘う形で、コンビデビューした。
ちなみに、矢部の兄で、同校卒業後は同じく芸人を目指していた兄・美幸さんも同校出身。現在は、モデル事務所を経営している。
ほかにも、吉本新喜劇の座長で、「ドリル、せんのかぁ〜いっ!」のフレーズをヒットさせているすち子、南海キャンディーズ・しずちゃんも、同校の卒業生だ。
いっぽう、中学校に目を向けると、守口市立梶中学校。同校は「お笑い登竜門」といっていいほど、好実績を残した芸人を輩出している。中川家・礼二の1学年上に、中川家の剛。そのもう1学年上に、ますだおかだ・増田英彦と世界のナベアツ(現:桂三度)がいた。つまり、ある1年間だけ、4人もオモロイやつがいたのだ。
さらにスゴいのは、増田と三度は中学2年生のとき、同じクラス。学習塾、そろばん教室まで一緒だった。ともに当時は小兵だったが、好きなプロレスごっこで、増田が“ポカリスウェット世界ヘビー級チャンピオン”、三度は“メローイエロー世界Jrヘビー級チャンピオン”を名乗り、ふざけあった。お笑いごっこもしていた。
ところが、中3で三度が滋賀県に引越。以降は疎遠になったが、増田が大学4年生のときに偶然観た吉本2丁目劇場のライブに、“山下・渡辺”のコンビ名で三度が出演。そのおよそ2年後、増田も芸人の仲間入りをはたした。
中川家は2001年、漫才日本一決定戦“M-1グランプリ”の初代王者になり、翌02年、ますだおかだが後を追うように2代目王者に君臨。三度は、漫才コンビ・ジャリズムとして関西で絶大な人気を誇り、09年に「3が付くときだけアホになる」小ネタで一世風靡。三者三様でしっかり売れたのだから、梶中学校、恐るべし。
関西では今後、こういう“名門校”が増えるかもしれない。