メディアは前田さんを、「歌手・松浦亜弥のものまねで知られた」と報じた。たしかに、世に出るきっかけとなったのは、女装したあややだったが、ネタ番組が下降線を描きだす前に路線変更しており、マルチタレントとして成功を収めていた。
そもそも前田さんは、芸能界入りする前の19歳のときに渡米して、マンハッタンに在住。ブロードウェイダンスセンターで4年ほどダンスを学び、歌の個人レッスンを受けた実績がある。英語を駆使したスタンダップコメディが得意で、ダンスも歌も本格的だったのは、そのためだ。実際に、所属事務所は異なるものの、大先輩でアメリカ在住の野沢直子とは、ニューヨークのステージで共演したことがある。
ここ10年ほどは振り付け師としての経験を積んでおり、07年にはTOKIO・山口達也の主演ドラマ『受験の神様』(日本テレビ系)で、創作ダンスを提供。09年〜12年には、大人気アニメ“プリキュア”シリーズのエンディングアニメーションの振り付けも担当し、声優を務めたこともあった。
05年には、ギャルサークルの代表やギャル誌モデルらとタッグを組んで、トランスのアルバム『ブチアゲ♂トランス』を発表。“まえけん♂トランスpj”の名で歌手デビューもはたし、完ぺきなギャルメイクで、ダンスも担当した。
多才さがピークに達したのは、09年。すでに同性愛者であることをカミングアウトしていたため、セクシャルマイノリティな人々をテーマにした処女小説『それでも花は咲いていく』を書き下ろし。全9つの短編からピックアップされた3本は、映画化された。前田さんは原作・脚本・監督という3足のワラジを初めて履き、せつないハートストーリーを完成させた。
「男の気持ちも、女の気持ちもわかる」とみずから公言していたため、女性からの恋愛相談も多く受けた。忌憚のない意見や、取り繕うことのないアドバイスは的を射ていたため、トーク番組にも多く出演。芸人仲間からもリスペクトされていたのは、44歳という妙齢を上回る安定感と、頭脳明晰だったからにほかならない。
芸能界は、前田健という天賦の才を失った。そのダメージは、計り知れないほど大きい。補てんできる術も、人材も、隙間も、おそらくしっかりあるだろう。しかし、マエケンが去ったあとにできた空洞は、マエケンでしか埋められない。ゲイであることを拠り所にせず、芸人であることに安住しなかった前田さん。彼こそ大和魂を持った、真の漢(おとこ)だったといえよう。(伊藤雅奈子)