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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元走り高跳び日本記録保持者・八木たまみさん

 走り高跳びの元日本記録保持者で当時の陸上界において“雲の上の人”だった八木たまみ(現・秋田たまみ)。

 八木は身長164センチと走り高跳びの選手としては小柄ではあったが、日本人として初めて1m90の壁を突破した。当時、これは記録と身長の差を表す「空間征服抜き」の女子世界最高記録であり、ギネスブックにも掲載された。
 群馬県伊勢崎市出身の八木は73年11月、伊勢崎市立殖蓮中学3年時に全日本選手権(国立競技場)にて1m70の日本中学新記録で優勝した。その後、太田市立商業高等学校に進み、76年8月にはインターハイで1m80の日本高校新記録を打ち出し、同時にインターハイ3連覇という偉業も達成した。更にその年の10月には国民体育大会で1m85の日本タイ記録で優勝するなど、次々と記録を更新していった。
 「彼女は本当に前向きでしたね。どんな苦難にも負けずとにかく一生懸命でした。また、結果を出しても浮かれることなく、次の目標に向かって頑張るタイプで、学校の星でしたね。今の日本はとかく草食系化が進んでますけど、彼女の爪の垢でも煎じて飲んで欲しいですよね」と語るのは高校時代の同級生。
 高校卒業後に関東学園大学に入学した八木は、78年9月、日中対抗陸上でついに1m86の日本新記録を樹立。しかも、その結果に甘んじず翌10月の長野国体で日本人女子として初めて1m90の壁を破ることに成功したのだった。同年、12月のアジア大会では2位に入るなど、大活躍をした。
 当然、五輪候補にもなりモスクワ五輪日本代表に選出されるも、日本不参加により涙をのむ結果になった。

 「八木が出場していれば、入賞は間違いなかったと思いますよ。もし1m90を出していれば当時の記録では五輪6位ですし、知名度もぐんと上がっていたでしょう。彼女はアスリートとしては美形でしたし、当時はアマチュア選手としては珍しくテレビに出演することが多かったんです。今でこそ、アマ選手は普通にテレビに出ていますが、八木が草分けですね。引退後、一時はスポーツキャスターとしても活躍しましたし、今、たくさんのアマ上がり選手が引退後にマスコミで活躍できているのは八木のおかげでしょう」(元スポーツ紙記者)
 八木は群馬県内の駐在所に嫁ぎ、現在は警察官のお嫁さんとして夫を支えている。おしどり夫婦としても知られており、06年には松井田妙義ゴルフクラブの「2006いい夫婦カップルペアマッチ」に夫婦で出場して、3位に入って久々に話題を提供した。

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