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横浜パワースポット・岩亀稲荷の悲話ミステリー

 横浜スタジアムのある横浜公園一帯は、江戸時代埋め立てられた土地だ。中華街も全部、そうである。

 交通の要衝である神奈川宿から遠いこの田舎・横浜に“出島”を造り、ペリー以下やってきた外国人の居留地や外国企業を押し込め、その際この横浜スタジアムの辺りには、壮麗な3階建ての《岩亀楼》をはじめとした外国人も遊べる娼館街をつくった。

 大店(おおだな)・岩亀楼が出来たのは、万延元年のこと。もちろんこれらは徳川幕府の政策である。

 それから6年ほど後、岩亀楼は、豚屋火事という大火で焼けた。今でも、お盆に横浜スタジアムで写真を撮ると、遊女が写っているらしい。400人以上亡くなったのだから無理もない。

 岩亀楼は、すぐに高島町に移転し、昭和に入るまで豪華な娼館の営業は続いた。今でも当時の地名が残る<紅葉坂>から、岩亀横丁に入ると、有名な《岩亀稲荷》がある。
 尊皇攘夷の考えから外国人客を拒み、最後は喉に刀剣を突きたてて自害したという、17歳・伝説の岩亀楼No.1[喜遊]の伝説で知られるお稲荷さんだ。

 当時から、遊女たちが適わぬ幸せを祈願した岩亀稲荷だが、いまでは女神信仰ともあいまって、女性の願いはなんでもかなえてくれる、と云われている。興味のある方は訪れてみてはどうか。
 ただそういったわけで、負のパワーが強いとも言われ、横浜市も観光名所からは外している。

 近隣にはさらに裏岩亀稲荷とでもいうべき、もうひとつの御狐様の祠があるが、こちらは、負のパワーが強すぎていろいろあるため、一般のお参り自体が禁止されている。

 不思議なことはあるものだ。

 伝説の喜遊さん、安らかに…。

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