もし実戦を知らないでプロレスをやると、レスラーとしてのプライドが無くなるだけでなく、格闘性とはいえない動きや受けを平気でやってしまう。いわゆる学芸会プロレスの始まりである。
あるわけがない動きも堂々と行ったり、受けてしまい、そんなタイミングは格闘技にあるわけないだろうと思われても平気。大技だけのオンパレードである。
でも世の中、そんな動きでも楽しければ良いという人もいるのだ。
そしてそれらが受け身と大技とスクワットとボディービルしかやらない、セメントのいらないレスラーを育ててしまう構図となる。
シュートの定義を知らないでシュートを超えることはあり得ない。受けのプロレスとストロングスタイル? アントニオ猪木の受けのすごさとは、相手の技を受け身の技術で受けるという簡単なものではない。シュートを知り抜いてできるものだ。
ボクシングでいうと、相手のパンチをガードして、時々よろけて、このパンチを打つ選手はすごいと思わせて相手を引き出し、カウンターを合わせるような技術を持つ者のようなことである。シュートを知らずしてこのタイミングはできるわけがない。
すべての人に、すごい! と思わせるのか、バカらしい! と思わせるのかは、レスラーの真のプライドによるのである。
私の言うことが難しいという関係者がいる。そんな輩がプロレスをダメにしたのはいうまでもない。
セメントの定義とプロレスを知らないで、観客受けだけでプロレスを考える関係者。いいかい、私は将来プロレスにはいないよ。
本業は真武道の構築である。だが、プロレスが朽ちていくのは見るに忍びない。カール・ゴッチが私を動かしている気がしてならない。