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なぜ「バカボンのパパ」には名前がないのか? 「賛成の反対なのだ〜」の意味とは?

 9月14日(火)、Googleトップページがバカボンファミリーに占拠された。職場でサイバーテロ対策に奔走していた観光研究者・井上ざもすきさんは「Googleもやられた!」と上司に報告して怒られたそうであるがそれもそのはず、これはギャグ漫画の金字塔『天才バカボン』作者・赤塚不二夫氏の生誕75周年を祝う記念企画だったのだ。

 08年に72歳で赤塚氏が亡くなられた際には筆者も葬儀に駆け付け、ファン向けの祭壇で別れを惜しんだ。出棺の折「これでいいのだ」のフレーズが耳に残るアニメ主題歌「バカボンのテーマ」が響き渡り、その能天気さには寺院のものものしさを吹き飛ばす場違いさも感じられたが、逆にその明るさゆえに天才を失った喪失感が現実味を帯びてきて、参列者の悲しみを増幅させた。

 そこで筆者は気が付いた。お寺とバカボンの主題歌がマッチするのは当然ではないかと。なぜなら「バカボン」を漢字で「莫迦梵」と書けば、それは悟りを開いた者を意味し、お釈迦様の尊称でもあるからだ。この話はかつて、様々なムダ知識を紹介するフジテレビ系列の人気テレビ番組『トリビアの泉』でも紹介された。赤塚氏に才能を見出され芸能界入りした逸話を持つタモリ氏の司会番組だったことも、不思議な符号ではある。

 さて『天才バカボン』の主人公・バカボンが神仏と交信して人類を導く解脱者的存在であるなら、バカボンのパパに名前が無い事情も察せられる。その天真爛漫な奇人ぶりは、人智を超越した神仏さながらに尊いものだからであろう。フジオプロによれば、バカボンのパパが良く使う「賛成の反対」は「つまり反対」かと思いきや、単に「賛成ではない」ということで、簡単にいうと「これでいいのだ」を意味するとか。神仏の類が実在するとしてもそれは決して賛成とも反対とも言わず、ただ静かに我々の所業を見守っているものなのではないか。「これでいいのだ」とばかりに。(工藤伸一)

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