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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元阪神タイガース・源五郎丸洋さん

 源五郎丸洋(げんごろうまる・ひろし)。その珍しい姓はプロ野球ファンなら記憶にあるはずだ。

 元・阪神タイガース投手の源五郎丸のユニフォームの文字は「GENGOROUMARU」と、なんと12文字。入団時には果たしてその文字数がきちんとユニフォームの背に収まりきれるのかと話題になった。07年にロッテに下敷領悠太(SHIMOSHIKIRYO・13文字)が入団するまでは堤内健、中野渡進と並んで日本プロ野球史上最長英名を記録してきた。

 源五郎丸は64年1月15日、東京・江東区で生まれた。中学生の時に父の転勤で佐賀県に転居。PL学園・柳ヶ浦・佐賀商業など名門校から勧誘されたが、大分県立日田林工高へ入学した。本格派右腕として注目された源五郎丸はその後、ドラフト1位で阪神タイガースに入団した。もともと電電九州・右田一彦投手をクジで外した阪神からの指名ではあったが、日田工高・原田監督の勧めもあって源五郎丸は早大進学希望の夢を捨ててまでタイガースに入団したのだった。当時を知る知人は言う。「源五郎丸は大の巨人ファンだったんですよ。それで、やはり巨人戦で活躍するのが夢で、同年に巨人のドラフト1位だった槙原寛己投手と投げあいたいって言ってたんですけどね」。

 未来のエースを嘱望されて入団した源五郎丸は、そのきれいなフォームが際立ち「池永二世」「村山二世」とも言われた。二軍キャンプで初のブルペン入りした際は大物評論家人が、一軍キャンプそっちのけでこぞって偵察に訪れたほど、注目されていた。球のキレもよく、特に威力あるストレートが絶品でマウンド度胸もある源五郎丸に周囲も大きな期待をかけていた。キャンプ終了間際に一軍に上がり、有料紅白戦で登板。バース、掛布を討ち取りエース候補の実力を見せ付けた。
 ところが、運命は非情だった。紅白戦の翌日、2軍で体力アップのため調整をしていた源五郎丸は、練習の最後に行ったベースランニングで一塁を回ったところで転倒。立ち上がれず病院に担ぎ込まれると「右大腿部二頭筋断裂で全治4カ月」の診断が…。
 投手として生命線といえる軸足のこの怪我が致命傷となり、源五郎丸の名はすっかり話題から消えていくのだった。

 結局、源五郎丸は1軍に昇格することもなく、5年間のファーム暮らしの末に86年オフに戦力外通告され、プロ野球人生を終えた。もし、あの時の怪我さえなければ、源五郎丸は名字の珍しさではなく、その投球でファンの心に刻まれる投手であっただろう。
 引退後は滋賀県で「源五郎丸スポーツ&薬局」を薬剤師の妻と経営したり、父親とともに造園業を営みつつ、掛布主催の野球教室で講師を務めたりもした。現在は姫路で「スポーツプランニング 源」を立ち上げ、『元阪神タイガース源五郎丸洋による少年少女野球教室・夢応援隊』を開催し、自分の果たせなかった夢を後進に託すかのように情熱いっぱいに指導している。

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