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【コラム】抗議自殺や自爆テロは善行なのか?

 今年1月に始まったエジプトの大規模デモにより、2月11日にムバラク大統領が辞任を発表。1981年以降、29年間に及んだ長期政権が幕を閉じることとなった。

 そのきっかけになったのは、1987年から23年続いたベン=アリー政権を崩壊させた、チュニジアのジャスミン革命である。チュニジアを代表する花がジャスミンであることから、インターネット上でそう呼ばれるようになったらしい。ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命した今年1月14日、エジプトでも反政府デモが始まり、ネットでの連携や民衆のデモにより長期政権が倒された点において、非常に酷似した状況となったわけである。

 ジャスミン革命は、モハメッド・ブウアジジという26歳の失業者男性が露天商をしていたところ、無許可での街頭販売を警察にとがめられたことへの抗議として、焼身自殺を図った事件が引き金になったとされている。失業率の高さを解消できない一方で規制ばかりしてくる政府への、大衆の怒りが爆発した形である。

 自らの命を犠牲にして民衆に後を託したブウアジジは1月4日に息を引き取り、ジャスミン革命の英雄となった。エジプトでも焼身自殺は相次ぎ、死者も出ているそうである。それらが功を奏して革命の成功につながったと考えるべきなのかもしれないが、果たして自殺を美化していいものなのか、疑問が残る。

 「抗議自殺」だけではなく「自爆テロ」も、宗教的犠牲心による聖なる「殉教」として好意的に受け止められたりすることがある。殺人は悪だけれど、自殺は善という考え方。自爆テロの場合、善と悪の複合によって、一応は善と看做されるということだろうか。自らを生贄にした呪術に思える節もあるが、英語の「immolation」は「生贄」で「Self-immolation」が「焼身自殺」だそうである。

 この「自殺=善」とする発想は、武将の切腹や神風特攻隊など、日本の歴史上にも散見されるものだ。年間3万人を超える自殺者の多さも、そこに起因するのかもしれない。3万人を超えるようになったのはここ10年ほどだが、それは人口の兼ね合いもあるからで、実は日本における自殺者の割合は、昭和22年から大幅には変化していない。

 自殺が美化される風潮がある限り、自殺者数は減らないのではないかとも思えてくる。うつ病や病苦による場合は仕方ないにしても、賛美するからには、いつか自分もやらないといけなくなるように思えて恐い。だから僕は次のように考える。

 「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉は「本当に死ななきゃいけない時のために、何としてでも生き抜くべし」ということではないか。そしてその「本当に死ななきゃいけない時」がいつなのかは誰にも分からないから、結局は「死ぬことと見つけたり」がゆえに「何としてでも生き抜くべし」ということになる。

 うちの親が良く言っていた「命根性が汚い」という言葉は、生きることへの執着心を非難するもの。自分の子に「生きようとするな」なんてと思っていたが、「惨めに命乞いするくらいなら、カッコよく死になさい」ということらしい。そして「カッコよく死ぬ」ためにはどうすればいいか考えてみると、やはり「死ぬことと見つけたり」同様に、もっとカッコよく死ねる可能性があるかもしれないわけだから、その時のためにも生きなくてはならない。

 ブウアジジら抗議自殺者にとっては、まさに「その時」が来たということだったのかもしれない。だからその死を無駄にしなかった大衆の思いは称賛されるべきであろう。けれどもそれと同時に、もう二度と悲劇を繰り返さないでほしいと願わずにはいられない。これだけ自殺者がいるのに何ひとつ変わり映えのしない日本にいるからこそ、そう思う。(工藤伸一)

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