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米海底調査で発見されなかった重巡洋艦「最上」の悲劇

 昨年12月7日、フィリピン南部のレイテ島とディナガット島、ミンダナオ島に囲まれたスリガオ海峡の海底で、米探査チームが旧日本海軍の戦艦や駆逐艦と見られる5隻を発見したと発表した。
 「マイクロソフトの共同創業者であるポール・アレン氏が私財を投じ編成した米沈没船探査チームが発見したのは、太平洋戦争で日米の艦隊が直接対決した1944年10月25日のスリガオ沖海戦でスリガオ海峡の海底に沈没した、戦艦『山城』、『扶桑』、駆逐艦『満潮』、『山雲』、『朝雲』。アレン氏によれば、激戦と海流のため船体は著しく破損しており、いずれも逆さまの状態で沈んでいたといいます」(歴史雑誌編集者)

 この探査チームは、'15年にフィリピン・シブヤン海の水深1000メートル付近の海底に沈んでいた戦艦『武蔵』を発見した実績を持つ。
 「スリガオ海峡で海流の悪状況により発見に至らなかったのは、重巡洋艦の『最上』のみ。『山城』、『扶桑』、『最上』は、いずれもフィリピンを巡る攻防でスリガオ海峡に進出した、西村祥治海軍中将率いる西村艦隊の軍艦。戦闘時はこの3隻が南方海域から短縦陣で北上し、これを迎え撃つ米艦隊と夜間から未明にかけて激しい砲撃・雷撃戦となったのです」(ミリタリー雑誌記者)

 その『最上』は、'41年の太平洋戦争開戦直後から最前線に投入され、マレー作戦、ラバウル作戦、バタビア沖海戦、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦に参戦した経歴がある。
 「スリガオ沖では、米艦隊の砲撃で大火災を起こし、航行不能のため駆逐艦『曙』が決死の接舷で乗員を移送救助して、その後に雷撃処分で沈没している。そのため、戦死者は190人で約600人が救出されたといいます。しかし、救出された乗員は秘密保護などの観点からフィリピンの地上戦に投入され、多くが戦死したのです」(同)

 悲劇の軍艦は発見されるのか。

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