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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(47)

 徳次は利益の大半を、工場の機械化や備品の充実のために当てた。スイス製の自動シボリ器(スエージング・マシン)、チャーレン自動プレス3台、ベターマンの自動ターレットなどを据え付けた。顕微鏡や硬度計などの研究用具は国産では質的に不十分だったので、ハバードやアンドリウスなどの代理店を通じ外国製を購入していた。1台1200円もする万年筆模様入れ機械は2台入れた。下請けに出していたメッキ加工も、研究を重ねた結果、新工場では自社でできるようになった。金、銀、赤銅、ニッケルなどの各鍍金(メッキ)を自由に、しかも耐久性のあるものを作ることに成功していた。耐久性を持たせることが難しいとされている金や銀にも、10年間の保証を付けられるまでになった。

 金や銀のメッキ製は主に国内に売れ、輸出はニッケル製がほとんどだった。価格は金7円、銀3円、ニッケル1円。ほかに時計付き、ライター付き、純14金製の高級品と、各種のシャープペンシルを考案し、販売した。そして当時としては非常に珍しい、コンベアによる流れ作業も導入した。

 1年もしないうちに新工場では足りなくなり、大正9(1920)年に押上分工場を増設。さらに翌大正10年、本所林町から2、3キロ東に当たる亀戸に250坪の土地を購入した。第3工場建設用地だ。
 亀戸の土地にあった長屋は従業員の住居に使用した。5軒あった長屋のうちの1軒に熊八一家を住ませ、熊八に管理人の役を与えた。
 大正12(1923)年には従業員総数200人、工場は300坪に拡張、売上金は月額5万円になり、従業員の賞与は半期に10カ月分ずつ出した。
 徳次たちの事業がこのように盛運にあったとき、金属製繰出鉛筆が各問屋から見向きもされなかった当初、唯一好意的に買い上げてくれた浅草橋の石井氏の店が破産したという知らせが入った。徳次は石井氏の当初の好意を恩義に感じ、売掛金130円ほどを棒引きにした。そして50円の見舞金を携えて石井氏が入院している蔵前の明治病院を訪ねた。

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