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過去を消した女たち 第15回 マルタ(40) 娼婦だった過去を現在の夫は知っているのか?

「あまり話したくないことですけど、貧乏から抜け出すには仕方なかったの」

 来日して20年になるコロンビア人のマルタ(40歳)は、かつて横浜にあった巨大な売春街、黄金町で体を売っていた。

 黄金町には狭い路地に500軒といわれるちょんの間が建ち並んでいただけでなく、それ以上の立ちんぼたちの姿もあった。私が取材した2000年代初頭、立ちんぼの多くは、タイ人とコロンビア人だった。常時、10人ほどのコロンビア人がおり、その中にマルタの姿もあったのだ。

 マルタが来日したきっかけは、コロンビアのアルメニアという街に暮らしている子どもの養育費と家族の生活費を稼ぐためだった。

「お父さんは体が弱くて仕事が満足にできない分、お母さんがレストランで働いたりして頑張ってくれていました。けど、食べていくだけで精一杯、洋服を買ったりするお金はなかった。そんな苦しい生活から抜け出したかった。あと、高校の時に付き合っていたボーイフレンドとの間に子どもができて、その面倒も見なければならなかったの」

 コロンビアでは、いい仕事を見つけるには大学を卒業する必要があるという。当然ながらマルタの家に、それだけの経済的余裕はなく、高校卒業とともに現金を稼ぐ必要に迫られていた。

「家の近くに、日本から帰って、大きな家を建てた女性がいたの。それを見て、日本に行ったらあんな家が建てられて、今までと違った生活ができるんだと思った。仕事の内容は、詳しく知らなかったけれど、日本に行かせてあげるというおばさんに連絡を取って、高校を卒業してから1年後に日本に向かったの」

 彼女が言うおばさんとは、昔ながらの言葉で言えば、女衒である。マルタを商品として日本に送り込み、いくばくかの金を得ている女性だ。ただ、マルタにとって日本に行かせてくれるのであれば、誰であれ気にもしなかった。

「日本での仕事は、来日のための諸費用として背負わされた500万円の借金を返すための売春だった。最初は、何でそんなことをしなきゃいけないのと思った。だって、おばさんはレストランでウエートレスをするだけだと言っていたから、それを信じていたの。日本に来たばかりで何にも分からないし、逃げる場所もない。家族のためだと思って頑張るしかなかった。いま考えれば、ウエートレスを雇うためにわざわざコロンビアから人を呼ぶなんてありえないけど、当時は若くて、私は田舎の人間だったから何も分からず、すぐに人を信じちゃった。辛い時もあったけど、近所の日本で働いた女性の家を思い出して、私もあんな家を建てるんだと頑張ったの」

 当時、年齢は20歳そこそこということもあってか、マルタには多くの客が付き、借金はすぐに返せた。借金の返済を除いても、手元に毎月50万円ほど残ったという。

 マルタはその金を律儀に送金し、ついにコロンビアに家を建てた。家族の生活が落ち着いたこともあり、彼女は売春から足を洗った。

「借金を返した後は、スナックと南米の食料品店で働くことにしたの。20年くらい前は、コロンビア人が働くスナックや食料品店が、けっこうあったのよ」

 スナックホステスだったとき、現在の夫である日本人男性と出会った。

「コロンビアに子どもがいること、毎月家族にお金を送っていることとか、ほとんど話した。だけど、売春のことだけは話せないね」

 現在、首都圏のマンションで、今年で52歳だという会社員の夫と暮らしているマルタ。今は特に仕事はしておらず、専業主婦として夫を支えている。コロンビアへの毎月5万円の送金を出してくれている夫だが、彼には前妻との間に高校生になる子どもがいるそうだ。

 日本とコロンビアの間には、埋められない経済的な格差がある。そんな国から日本に来るということは、何か還元できるだけの技能や技術などを持っていない限り難しいということは、ある程度の社会経験を積んだ者であれば容易に察することができるはずだ。もしかしたらマルタの夫は、彼女の口から聞かずとも、その点を知りながら結婚したのではないだろうか。

「旦那さんは優しいし、何の不満もないけど、もう少し年を取ったらコロンビアで生活したいなと思っている。もうずっと日本で暮らしているから。だけど、旦那さんはちょっと厳しいかもね」

 というのは、結婚した直後、夫とコロンビアに帰省したのだが、日本では見かけないライフル銃を持った警備員の姿を見たり、夜中に発砲音を聞いたりして、「こんな危ないところには住みたくない」と言いだしたという。それっきりコロンビアには行っていない。

 コロンビアという国を知らない夫のウブな態度を聞くと、マルタが娼婦だったという過去にも、まったく気付いていないのかもしれないと思えてくる。国際結婚において、お互いが生きてきた背景を知らないということは、良好な関係を築くうえで重要なのかもしれないと、この話を聞いて思った。であれば、なおさらマルタは、今後も娼婦であった事実を隠しながら生きて行く必要がある。

 娼婦だったという重荷は、夫婦関係を続ける限り、消えることはない。

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