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清原和博氏に「お前の花道は俺が作ったる!」 最大のピンチに救いの手を差し伸べた、イチローも慕う大物とは

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清原和博氏

 元プロ野球選手の清原和博氏が28日、元阪神・片岡篤史氏が自身のユーチューブチャンネルに投稿した動画にゲスト出演。2005年12月15日に肺がんのため70歳で亡くなった元プロ野球監督・仰木彬さんについて言及した。

 今回の動画の冒頭、清原氏は自身が所属した当時の西武と、自身と片岡氏の地元・関西のチームである近鉄のチームカラーの違いについてトーク。その中で、当時近鉄の監督を務めていた仰木さんに話が及んだ。

 現役時代に西武(1986-1996)、巨人(1997-2005)、オリックス(2006-2008)の3球団でプレーした清原氏と、監督時代に近鉄(1988-1992)、オリックス・ブルーウェーブ(1994-2001)、オリックス・バファローズ(2005)の3球団で指揮を執った仰木さん。清原氏は西武時代に仰木さんが率いる近鉄、オリックス・ブルーウェーブと何度も対戦しているが、仰木さんとは全く面識がなかったという。

 巨人移籍後の2004年、具体的な時期は明かさなかったが仰木さんから「ワシや!仰木や!」と突然電話がかかってきたという清原氏。「どうしたんですか?」と聞くと、「お前巨人におっても嫌やろ?オリックス・バファローズに来い!」と誘ってきたという。

 当時は前年からチームに加入したペタジーニの存在もあり、巨人内でレギュラーの座を失いつつあった清原氏。しかし、「(巨人とは)もう1年残ってたし、ここで自分の立場が悪かったから(移籍)っていうのはどうかなと(思った)」、「せっかく自分が憧れの巨人に入ったのにこういう形で出ていくのは『嫌やなあ』と思ったし、契約全うして球団から『いらん』と言われたら『(現役を)やめようかな』と思ってた」という理由でこの誘いを断ったという。

 しかし、仰木さんは2005年シーズン最終戦翌日に清原氏を呼び出し「来年やるぞ!」と再度勧誘。これを受けた清原氏が巨人退団後の12月に「監督、お世話になります」と連絡を入れたところ、「お前の花道は俺が作ったる!」と言われたという。

 その直後に仰木さんが亡くなったため、一緒にシーズンを戦うことは叶わなかった清原氏。ただ、「仰木さんに拾ってもらってオリックスに行ったことで、イチローとつながったりとか、最後両親にも(引退)試合を見せることができた」と仰木さんに感謝していた。

 今回の動画を受け、動画のコメント欄やネット上には「パ・リーグ時代に何度も対戦してたのに面識なかったのは意外」、「巨人に居場所無くなってた清原にとっては救いの言葉だったんだろうな」、「仰木さんがもう少し長く生きて清原を指導してれば、引退後に道を踏み外すことも無かったのかな」といったファンからの反応が多数寄せられている。

 清原氏は引退後の2016年2月に覚せい剤取締法違反で逮捕され、同年5月に懲役2年6か月・執行猶予4年の判決を受けている。ただ、最近は昨年11月に行われたプロ野球入団希望者を対象としたトライアウト「ワールドトライアウト」で監督を務めたり、今年3月に厚労省が主催した薬物依存の啓発イベントに登壇したりと徐々に活動の場を広げている。

 「ワールドトライアウト」で監督を務めた際には用意された背番号ではなく、仰木さんがオリックス・バファローズ時代に背負った「70番」のユニフォームを着用したかったと発言している清原氏。亡くなってから約15年が経過した現在でも、仰木さんに対する感謝の念は強いようだ。

文 / 柴田雅人

記事内の引用について
片岡篤史の公式ユーチューブチャンネルより
https://www.youtube.com/channel/UCSFE1o0ihc5mfODf2FybeuA

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