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「時代」を彩った男と女・あの人は今 女子プロレス・アジャコングさん

 女子プロレスを代表する悪役レスラーとしてリング内外にその名をとどろかせたアジャ・コング。歴代女子レスラーの中でも人気、実力共にトップ10に入るだろう。アジャは現在、OZ アカデミーに所属し、小さい興行主体ではあるが現役でプロレスを続けている。

 アジャといえば、ダイナミックなボディとフェイスペイント姿で一斗缶を凶器に暴れまわるヒールぶりがあまりにも有名だが、その素顔は実にギャップがある。本が好きで知識も豊富、大変礼儀正しくかわいらしい性格で周囲から愛されるキャラなのだ。本名の宍戸江利花(ししどえりか)というキュートな名に相応しい性格と言っても過言でない。 
 1986年にプロデビューし、今年で24年目のレスラー人生を迎えたアジャ。昨年9月に、39歳になったのだが、この“年齢”には彼女自身ただならぬ思い入れがあるようだ。

 実は39歳というのは亡き母がアジャを産んでくれた年齢なのだ。アジャは1970年9月25日に米軍立川基地に勤務していたアフリカ系アメリカ人の軍人、ヘンリー・マニゴールド氏と日本人の母・洋子さんの間に誕生した。幼少時に父が突然と本国に召還されたため、母・洋子さんは女手ひとつでアジャを育ててきた。当時、立川で飲食店を営んでいた洋子さんが米軍人の子を産むことには、洋子さんの親戚一同が大反対。全親族から絶縁された経緯があり、洋子さんとアジャは本当に母ひとり子ひとりでイバラの道を歩んできたといえる。
 「アジャはハーフということで物心ついた頃から、イジメられてきました。母・洋子さんはそんな日がくるだろうことを覚悟していたがゆえに、幼少期からアジャを厳しく育ててきた。でも、アジャがイジメの日々の中で自分の出生を憎んだ言葉を母にぶつけたとき、一度だけ母は涙を流し、母子心中を口にする勢いでアジャの喉元に包丁をかざしたそうです。そんな悲しい姿の母をみたことはなく、そのときからアジャは自分自身をみつめ、つらかったことを個性に生かし前向きにレスラーを目指すようになったんです」(元プロレス担当記者)

 しかし、母はアジャの入門時に癌で他界してしまい、娘の大活躍を見ることはできなかった。逆にその悲しみがアジャの活躍の原動力となったのだがアジャの心残りは察するに余りある。
 今まさに母が自分を産んでくれた歳になってアジャはますます複雑な心境のようだ。
 団体関係者が言う。
 「実は…アジャは密かに家族を持ちたいと願っていると思います。アジャは、お母さんが親戚から総スカンの中、高齢出産の初産で自分を産んでくれたのに自分は何も恩返しできなかったと、どこかで自分を責めてきたんです。だから、自分が家族を持って幸せになることが母への最大の恩返しと思っているようです。まさかと思うでしょうが…つまり、結婚、出産に対する憧れですよ。母が自分を産んでくれたこの“39歳”に家族を持つことこそに相当なこだわりがあるのでは?」

 これまでは、常に“男”として扱われてきたアジャだが、内面はやはり女の幸せを待ち望むLadyなのだろう。アジャが39歳である9月24日までに引退−−そして“最終就職”という電撃的なミラクル・ニュースが駆け巡る可能性もあるかもしれない。

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