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さんまが経験した日航機墜落と関西ローカル番組

 日航ジャンボ機の墜落事故が起こったのは、今から31年前。85年8月12日、乗客乗員あわせて520名の命が奪われた。この便に乗る予定で、直前に難を逃れた有名人がいる。明石家さんまだ。

 さんまは毎週月曜(当時)、午後10時にスタートするラジオ『MBSヤングタウン』(毎日放送)の生放送に出演するため、東京から関西に移動していた。12日のこの月曜日も、いつも通りのJAL123便を利用する予定だった。ところが、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)のレギュラー収録が早めに終了。いつもより1便繰り上げ、全日空に振り替えた。そして、乗る予定だったJAL123便が墜落。さんまは、間一髪のところで命拾いをしたというわけだ。

 それでも、その夜の“ヤンタン”は生放送で行われ、事故関連ニュース以外は音楽をかけるという急務対応をとった。さんまは以来、国内移動は新幹線など鉄道を使用している。そして、この“ヤンタン”は、超大物芸能人になったさんまが今なお関西ローカル番組で抱える、長寿レギュラー番組だ。さんまほどの大物が、なぜ今でも関西ローカルにこだわるのか。そこには、深いワケがあった。

 同番組は、さんま人気が爆発する前に起用している。放送日には毎週、収録場所に多くの女性ファンが詰めかけたほどだ。当時、さんまはラジオ局に出入りする広告代理店スタッフと交際していたが、あるとき、出待ちのファンがいるにもかかわらず、この女性スタッフと一緒にタクシーに同乗した。

 番組の創設プロデューサー・渡邊一雄(故人)さんはこの事実を知り、翌日、さんまを喫茶店に呼び出した。「ファンが見ている前で女とタクシーに乗るなんて、何を考えてるんや」と説教して、「10万人のファンと1人の女性、どっちが大事なんや」と問い詰めた。すると、さんまは、「1人の女です」とウケ狙いで答えたため、渡邊さんは激怒。その直前に、銀座のホステスと密会している記事が週刊誌に載っていたこともあり、2人のディレクターは番組降板を勧告した。だが、渡邊さんが防波堤になって阻止した。

 この恩があるため、さんまはどんなに売れっ子になっても、“ヤンタン”を降りなかった。そして、帰阪するごとに、渡邊さんの机に「早く貴方の顔が見たい」と置き手紙を残していた。ところが10年、渡邊さんは肺ガンで逝去。遺族は、さんまから受け取っていた「ヤンタン一生やります!」という手紙を、大切に保管している。

 元妻で女優の大竹しのぶとの間にできた長女の名前は、いまる(IMALU)。由来は、「生きてるだけで丸もうけ」だ。日航機墜落事故、恩師の死で、命の尊さを痛感したさんま。“お笑いモンスター”が笑いにこだわるワケは、深くて重い。

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