中田は大学在学中の2003年8月、「オリエンタルラジオ」を結成し、2004年に吉本総合芸能学院(NSC)東京校に入学。同年の『M-1グランプリ』で準決勝に進出すると、一気にブレイクした。一方では2019年4月、青山学院大学経営学部の客員講師に就任。そのかたわら、優れた知性を生かして教育系YouTuberとして同月より活動を開始させた。2020年12月、藤森と共に吉本興業を退所。私生活では2012年6月、タレント・福田萌と結婚、1男1女をもうけ2021年3月、一家でシンガポールに移住した。
急成長を遂げた中田の教育チャンネルだが、炎上することも少なくはない。冒頭のチャンネルでも“大物”に強気な姿勢を見せていたが、かつては“低姿勢”な態度で芸能界の荒波を乗り越えていたようだ。
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2022年7月、ユーチューブチャンネル『佐久間宣行のNOBROCK TV』に中田が出演。動画では、2011年に芸能界を引退した元タレント・島田紳助氏を怒らせたエピソードを明かした。
かつて、『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)では、島田氏が司会を務めていた。中田は、島田氏が司会をしていた際に出演した同番組での“事件”を回顧。同番組では、エピソードトークを用意し、台本ではそれを話す流れだったが突如、島田氏が別の話題にすり替えてしまったという。
当時の状況について、中田は「紳助さんが線路をガチャっと切り替えて。真っ白になったんですよ。用意していたものが出せない…って」とテンパったと明かし、「俺が完全にミスったのですが、紳助さんのトークを戻そうとした。“いや、でも紳助さんね”って言っちゃった」と説明。すると、島田氏が「なんやねん、お前コラ」と激怒し、これに中田は「気づいたら紳助さんの顔が目の前にあった」と収録中にブチ切れられたと告白した。
中田は、「紳助さんのトークを、ただ邪魔してしまった」とうなだれ「事前に打ち合わせしたボールを打つことにとらわれた」と反省した。だが、現場は凍り付き「空気がピキーンとなって、そこからはもう何の記憶もないです」と放心状態になったという。
収録後、中田はスタッフから島田氏に謝罪するよう促され、島田氏の楽屋で謝罪したとしている。これに島田氏は、「ええわ、ええわ」と謝罪を受け入れたとみられたが、島田氏のマネジャーから「“お前、このあともう一回謝りに行くぞ”って、紳助さんのご自宅まで謝りに行って」と、指示されたと明かしたのだ。
中田は後日、島田氏の自宅に足を運んだものの不在だったため、「後日、全然関係ない紳助さんの別現場にわざわざ行った」とのこと。これには、さすがの島田氏も中田の謝罪を受け入れ「お前、用意したものだそうとしたやろ。用意したものを出してもしゃーない」と“説教”されたという。続けて「その瞬間、その瞬間で“これや!”っていうものを返してこい」と、教授されたと振り返った。
「この件について、2021年3月に藤森が次長課長・河本準一、タカアンドトシ・トシと出演するYouTubeチャンネル『こうもトシんご』で触れています。藤森は『お互いの意思疎通の問題』と指摘しつつも、『(中田が)自分の組み立てたプランがあって、それを紳助師匠の前で披露して笑ってもらうことにかけてた』と中田をフォロー。ですが、あの一件以来、2人の共演は実現されず、これに中田が心残りだったと代弁してます。ネット上では、島田氏の傲慢かつ、高圧的な振る舞いに中田への同情の声が集まりました」(芸能ライター)
今や、チャンネル登録者500万人以上を誇る中田。新たな分野を切り開いた中田の“成功”を島田氏にはどう映って見えるのだろうか。