チャゲアスは、高校の同級生同士のChageとASKAで結成。1979年にシングル「ひとり咲き」でデビューした。1991年のシングル「SAY YES」がダブルミリオンを記録、翌92年にはアルバム『SUPER BEST II』もダブルミリオンを記録するなど、数多くの名曲をリリースし音楽界の歴史にその名を刻んだ。だが、2009年にデュオでの無期限活動休止を宣言。2013年に再始動を発表したが、ASKAの一過性脳虚血発作の疑いと薬物事件により白紙となり、デビュー40周年となる2019年8月、ASKAが脱退を発表した。
かねて不仲説が浮上していたチャゲアス。ASKAによる長文の脱退コメントは、復活を待ち望んでいたファンを落胆させ、何よりASKAの独断という真実に衝撃が走った。
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公式ブログでコメントしたASKAは、Chageを「相棒」と表現し、「まだ『解散』を受け入れていません。ましてや、この『脱退』も受け入れられないでしょう」と示唆。また、「手を替え、品を替えで、ただ延命するより、いっそ解体して、新しく積み上げることの方が建設的だと思う」などとつづった。しまいには、Chageとは弁護士を通してしか連絡方法がないとした上で、「あいつとの信頼関係は、もう築けません」と宣言。2人の間に大きな溝があることをうかがわせた。
その“溝”の原因について、2019年8月のニュースサイト『FRIDAYDIGITAL』では、「金銭問題と愛人」と題している。記事によると、2009年から稼働していないチャゲアスだが、「その間、ASKAは何度も解散を進言してきたが、話がまとまらず、今回“実力行使”を行なった形」と報じた。
これに、ASKAを知る人物が「ASKAさんは良く言えば、武士のような人。長らく剣道に打ち込んでいることもあって、筋が通らないことが大嫌い」と同サイトに語り、「すでにチャゲアスに心がないのに、延々と商売するのはファンに失礼だということ」と代弁。続けて、ASKAは“自分あってのチャゲアス”というプライドから、「Chageさんがソロライブや(同年)7月発売の女性誌でチャゲアスの再始動や将来について、とうとうと語っていたことも許せなかった」と示唆した。
だが、同サイトはChageサイドが「困惑しきり」とにらむ。音楽関係者によれば、「これまでも多少のトラブルはあったが、今年(2019年)に入って急に態度が強硬になった」と漏らしているという。記事では、Chageが直近で2回、ASKAに会談を申し出たが、スルーされたとし、その理由として「愛人女性と同棲を始めたことで、ASKAに何か心境の変化があった」とした。
その一方で、「かつての所属事務所をめぐる攻防もあった」とも報じ、薬物事件で解雇された「ロックダムアーティスツ」の会社運営について触れている。以前、ASKAは同社の株式を50%保有する大株主で、以前から株主総会でチャゲアスとロックダムの解散を提案していたという。だが、もう50%の株式をChageが保有し、解散を反対していたことからASKAの意向が通らなかったとしている。しかし、ASKAは同社に対し、新たなビジネス計画を提案し、会社運営に携わろうとしていたが、適当にあしらわれたようだ。同サイトは、全くもってかみ合わない両者の意向に「両者の溝は想像以上に深刻」と見立て、確執の原因と伝えた。
2022年、ASKAが2年ぶりに全国ツアーを開催し、最終公演を完全収録したブルーレイとライブCDの発売に伴い同年9月『サンケイスポーツ』(産経新聞社)の取材に応じた。ASKAはチャゲアス復活の可能性について「難しいですよ」と、なぜか笑顔で繰り返していたという。周囲からも期待する声が多いだけに、復活の日を待ちたい。