“事件”は1992年11月23日に起きた。滋賀県の琵琶湖畔より、大小26個の風船を檜の風呂桶にくくりつけた鈴木は、「アメリカに行ってきます」と言い残し、ふわりと空に舞い上がった。
鈴木の挑戦は、出発前から無謀だった。「ヘリウムガスを詰めた風船に乗って、高度1万メートルに上昇すれば約40時間でサンフランシスコに行ける」計画だったが、もとより彼の自作ゴンドラにはそんな機能も耐久性もなかった。
当日の天気は晴れ、北西の風1メートル。その様子を見ていた地元タクシー運転手はこう語る。
「風船は重りを積み過ぎていたのか、あまり高く上がらなかったね。風船もパンパンではなく、ちょっとたるんだ感じになっていたから、アメリカは厳しいなあ…って」
そう、この風船には決定的な欠点があった。アメリカに行くには、最低でも高度6000メートル以上のジェット気流に乗らなければならないが、この風船は5000メートルにすら上昇することができなかったのだ。
★餓死、凍死、墜落死……あるいは帰国している可能性も?
そして出発から40時間後の25日午前8時30分。彼はアメリカではなく、宮城県金華山沖800キロ、高度2500メートル地点を漂っていた。距離にすると、琵琶湖からはまだ1400キロほど。40時間で1万2000キロを飛んでいるはずが、予定時間を過ぎても約10分の1以下。思えば、ここでギブアップしても良かったのに…、誰もがそう思った。
その後は海上保安庁の捜索機が彼の生存を確認したのが最後。前日夜半の救難信号を受けて発進したが、捜索機がゴンドラを見つけると彼は手を振ったり、ゴンドラから荷物を次々に投げ落として高度を上げたため“飛行意志あり”と見なされ、3時間の監視の後に捜索機は帰還した。
風船は1日に約1割ほどガスが抜け、放っておいても勝手に高度が下がる状態であったが、識者の見解では、「捜索機の最終確認から早くて3日、最長でも1週間で高度はゼロになっただろう」という。
彼が25日にいた北緯約40度・東経153度地点、そこを吹いた風の向き、台風の位置、気圧、その他さまざまな条件を考えると、彼は目指す東の方角からやや北に流されはじめ、千島列島の島々と並行するように飛んでいったことが予想される。とすると、彼はロシアのカムチャッカ半島界隈まで飛べたことになる。だが、残念だがまだ陸地には届いていない。ベーリング海手前の太平洋上だ。ここまで餓死や凍死、墜落死などをしていなければ、風船おじさんは見事着水。今度は風まかせではなく、潮にまかせて、親潮に乗って東北の三陸海岸、場合によっては千葉の九十九里海岸まで戻されているのかもしれない。そう、風船おじさんは日本に帰っているかもしれないのだ。
仮に本人は見つからなくても、せめてゴンドラだけは見つけたい。手がかりは、ゴンドラに書かれた『ファンタジー号』の文字。日本のどこかに流れ着き、ひょっこり我々の目の前に再び現れることを祈らずにはいられないのだ。