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芸能 2019年12月01日 12時00分
嵐のクリスマスドーム公演に心配の声…札幌ドーム公演にはバキバキに折られたうちわ
2歳年上で元フリーアナの女性との結婚を今月12日に発表した嵐の二宮和也。結婚発表後、数日間は祝福ムードが漂いメディアも大々的に報じていたが、16日に合成麻薬MDMAを所持していたとして、麻薬取締法違反の疑いで女優の沢尻エリカ容疑者が逮捕されるや、沢尻容疑者にニュースの“主役”の座を奪われてしまった。 結婚発表から間もない14日から16日までは北海道・札幌ドームで嵐のコンサートが開催され3日間、嵐ファンが押し寄せる様子が報じられたが、少なからずファンの“拒絶反応”が見られたようだ。 「嵐は来年いっぱいで活動休止を発表。そのため、ファンにとっては各会場“一期一会”で嵐のメンバーと最高の時間を過ごしたかったはず。ところが、二宮の結婚発表でファンは“どん底”にたたき落とされてしまった。ファンに気を遣ったのか、二宮はMCで結婚については触れなかったようだが、コンサート会場にバキバキに折られた二宮のうちわが散乱している様子がSNSで拡散されてしまった」(音楽業界関係者) 新婚ホヤホヤであるにもかかわらず、まだツアーが続いているため二宮は夫婦での時間をゆっくり過ごすことはできないが、12月24日と25日の東京ドーム公演では“地獄絵図”が広がりそうだというのだ。 「公演前の12月23日は二宮の妻の誕生日。新婚後、初の誕生日とあって、盛大に祝福することになりそうです。二宮は意気揚々とクリスマス公演に臨めそうですが、ファンたちからすれば二宮が妻を祝う姿を想像し落ち込むはず。両日の公演終了後、会場周辺には札幌ドームと同じような、いや、それ以上の“地獄絵図”が広がってしまうのでは」(芸能記者) 良きタイミングを見計らって結婚を発表したはずの二宮だったが、発表を活動休止後まで待つことはできなかったようだ。
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芸能 2019年12月01日 12時00分
木村拓哉“ソロライブ”発表に心配の声「空席だらけになるんじゃ…」
俳優の木村拓哉が来年、初のソロライブを行うことが発表された。2020年1月に発売されるソロデビューアルバムを引っ提げ、来年2月8日、9日に東京・国立代々木競技場第一体育館、2月19日、20日に大阪城ホールで計4公演を行うという。木村はソロでの音楽デビューが決まった当初から、「せっかくCDを出させていただくので、みんなと騒げる場所(ライブ)も真剣に考えたい」と公言。これを実現させた格好だ。 木村はライブ発表に際し、《ようやく騒げる場所が決定致しました。なるべく皆さんと近い距離で楽しみたいと思ったので、東京と大阪の会場を選ばせていただきました》と報告。《こちらも本番を楽しみに準備を始めているので、皆さんぜひ騒ぎに来てください!》と、気合い十分のコメントを残した。 ネット上では早速、話題沸騰。ツイッターでは、《今から楽しみではありますがチケット争奪戦…考えたくない》《東京、大阪かぁ チケットはやはりFC会員なのかな》《ライブ東京と大阪だけってことはないですよね? とりあえず、なんですよね? 木村拓哉ファンクラブも発足するんですよね??》《ぜひ遊びに行きたい〜》 など、大興奮の声が相次いだ。しかし、匿名掲示板では、《皆さんと近い距離っていうなら全国津々浦々を回るライブハウスツアーにすれば良かったのに》《SMAP5人ならまだしも、キムタク1人のナルシスト熱唱&自分酔いトークで2時間はキツイ》《売れてる後輩をゲストとして巻き込むのかな?》 などと、批判的な声ばかり。しかも、《大丈夫か? 集まるか?》《空席だらけになるんじゃ…》《ファンじゃない私からしたら、アリーナツアーでも会場埋まるの?って思うけど…》《空席祭りになりそう》 など、集客を心配するコメントも投稿された。おまけに東京のライブ会場は元『SMAP』の稲垣吾郎、香取慎吾、草彅剛の3人が来年3月にファンミーティングを行う会場でもあり、《数ある会場の中からわざわざ新しい地図のファンミーティングと同じ場所を選ぶ意味あるの?》《ライブの方が日程早いけど、元SMAPの面々はどんな気持ちでニュースをチェックするんだろうね》 などの意見もあった。 果たして木村は、ライブでどんなパフォーマンスやファンとの掛け合いを見せるのか? 注目が集まる。
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その他 2019年12月01日 12時00分
痛み悩みの相談室 腰痛は仰向けに寝るのがいい?
まっすぐ上を向いて寝るのは、何となく正しい寝方のように思えますが、腰痛持ちの方は、横向きに寝て軽く腰を曲げ、股関節やひざの関節を少し曲げた状態で寝るのがベストです。たまにうつ伏せで寝る方がいますが、うつ伏せ寝は腰を反って寝るので、かえって腰痛をひどくする恐れがあります。どうしてもうつ伏せ寝が好きな方は、少し斜めうつ伏せに寝るクセをつけて、徐々に横向きに寝るように持っていきましょう。 また、寝返りが少ないと腰の筋肉や関節が固くなり、さらに腰の筋肉が圧迫されて血液や体液の循環を妨げ、腰痛になりやすくなります。寝返りは寝ている間にも、身体をほぐす体操を無意識にしてくれているのです。 そして、寝具を選ぶときも寝返りが打ちやすいものを選ぶのが大事です。寝返りしやすいよう掛け布団は軽いものにして、実際に選ぶ時は上向きだけでなく横向きでも寝るなど、様々な寝方で自分に合うかどうかを吟味しましょう。また、やわらかすぎる敷き布団やマットレスは寝返りがしにくいので、腰痛が起こりやすくなります。 とはいえ、なかにはどうしても上向きでないと眠れない方もいます。そうした場合は、ひざの下に座布団やクッションのようなやわらかいものを入れて、ひざや股関節を軽く曲げて、腰が少し曲げられる状態を作りましょう。この場合は真横に寝返りができないので、左右斜め横に寝返りを打てれば大丈夫です。***************************************監修/井尻慎一郎先生井尻整形外科院長。医学博士。著書・監修書に『痛いところから分かる 骨・関節・神経の逆引診断事典』(創元社)、『筋肉のからくり 動かし方を変えるだけでコリと激痛が消える!』(宝島社)などがあるほか、論文、講演、テレビ出演などで活躍中。井尻整形外科HPはhttps:/
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スポーツ 2019年12月01日 11時00分
元日本ハム・新庄氏、現役復帰は実現する? 2度戻ってきた選手も、プロ野球引退後の復帰劇
11月12日に現役復帰を表明し、プロ野球ファンを中心に大きな話題を集めた元プロ野球選手の新庄剛志氏(元日本ハム他)。来年のトライアウトに照準を合わせ、現在は自身のインスタやユーチューブチャンネルで頻繁にトレーニング姿を公開している。 しかし47歳という年齢や、引退から13年が経過していることもあり、ネット上では「ここから現役に復帰するのはいくらなんでも無理だろ」、「人気は今でもある選手だけど、実力となるとなあ」、「そもそも本気で現役復帰する気があるのか?」といったネガティブな声も根強い。 ただ、過去の球史を振り返ってみると、引退を撤回して現役復帰を果たした選手は少なからず存在する。例えば、1996年から2005年にかけて近鉄・巨人で活躍したローズは、巨人退団後の2006年に37歳で現役を引退するも、翌2007年にオリックスで現役復帰。2度目の引退となった2009年までの3年間で104本塁打をマークし、2008年には118打点でパ・リーグ打点王にも輝くなど活躍した。 ちなみに、ローズは二度目の引退から約6年後の2015年5月に、BCリーグ・富山で2度目の現役復帰。41試合に出場し「.315・5本・37打点」をマークするなど46歳とは思えないような往年の打撃を披露したが、翌年以降は来日せず現在は事実上の引退状態となっている。 阪神の前身・大阪タイガースの黎明期を支え、“初代ミスタータイガース”とも称される藤村富美男は、選手兼任監督だった1956年に40歳で引退。翌1957年は専任監督となるも、そのまた翌年の1958年に現役復帰した。 しかし、首位打者を1回、本塁打王を3回、打点王を5回獲得した藤村はこの時既に42歳。同年は24試合で「.115・0本・1打点」と寄る年波には勝てず、結局この年限りで再び引退を決断している。 通算533犠打の世界記録を保持し“バントの神様”と呼ばれた巨人・川相昌弘は、当時の世界記録(512犠打)を塗り替えた2003年に39歳で現役引退を表明。翌年からは巨人でコーチに転身する予定だった。 しかし、同年オフに巨人の監督が原辰徳から堀内恒夫へと交代したことにより、川相の人事も不透明な状況に。このことが影響したのか、川相は引退を撤回して巨人を退団し、入団テストを経た上で中日に入団。正式に引退する2006年までの3シーズンで計200試合に出場し、2004、06年にはセ・リーグ優勝を経験してもいる。 こうした先人たちと、同じ道をたどろうとしている新庄氏。ただ、以上の3名を含め復帰事例の多くは1年前後のブランクにとどまっており、NPBではないBCリーグに復帰したローズでもブランクは約6年。現時点で13年、トライアウトを受ける来年には14年ぶりのプレーとなる新庄氏が、それを乗り越えてNPBに復帰できるかどうかは全くの未知数だ。 ただ、新庄氏は2006年に34歳の若さで引退したため、ブランクを入れてもトライアウトの時点で48歳。もちろん現役復帰は疑問視される年齢ではあるが、まだ50歳には到達していない。投手と野手という違いはあるが、球界では元中日・山本昌氏が50歳まで現役を務めたケースもあるため、「もしかしたらやってくれるのではないか?」という期待も少なくない。 2006年に引退した際の所属球団である日本ハムからの申請により、11月27日にどの球団とも契約できる自由契約選手としてNPBに公示された新庄氏。果たして、今後獲得に名乗りを挙げる球団は現れるのだろうか。文 / 柴田雅人
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社会 2019年12月01日 09時00分
掲示停止で注目された「人生会議」の本質 人生を言葉で尽くし、残す重要さ
26日に厚生省が掲示を中止することを発表し物議を醸した、「人生会議」のポスター。初めて耳にする人も多いであろうこの取り組みは、2018年の今ごろ、「アドバンスケアプランニング(ACP)」の愛称として生まれた。 ACPは人生の終末期をどのように過ごすか、望む医療やケアについて自分の意思で考えること。それを家族や、ケアするチームと話し合い共有する取り組みのことである。厚労省の「平成29年度 人生の最終段階における医療に関する意識調査」によると、ACPについてよく知っている人は3.3%。ACPの愛称を一般に募集したのはACPを広く知らしめるための厚生省の取り組みの一環でもあった。 採用された「人生会議」とのフレーズを考えたのは、集中治療室で日々患者や、その家族と向き合っている看護師だった。臨床の場で患者と向き合っていると、患者が望んでいたのはこの姿なのだろうか、と頭を抱えることがよくある。特に、予期せぬ体調の異変で命を脅かされて病院に運ばれてきたときに多く見かける光景だ。医療従事者だけでなく家族すら本人の希望を知らない状況で医療、ケアが進むことも少なくない。「人生会議」という言葉に、日頃の生活の中で、人生のことを話し合う場、人生を通して最期をどう迎えるのかを共有する場を持ってほしいという思いを込めたのだろう。 命に危険が迫った状態では、約70%の人が医療やケアなどを自分で決めたり、人に伝えたりすることはできないという。今回のポスターでは命に危機が迫った状態を模しているのだろう。今回のポスター掲示停止は、「患者や家族に配慮が足りない」という声が大きかったからだという。死を目の前にして後悔の念を前面に押し出した文言に批判が及ぶのは分からなくもない。一方で、人生の締めとして“終末期をどう迎えるか”は、その人の人生を大きく左右するものと考えると、このポスターの表す内容は胸に刺さる。だからこそ批判も大きかったのではないだろうか。 ポスターのモデルとなった小籔千豊は愛称の選考委員だった。選考時には、自身の母を看取る際に、本人の希望を聞いておかなかったことを後悔したとコメントしている。小籔の母は50代の若さで亡くなっていた。一般的に考えれば、終活を考えるには少し早い年齢かもしれない。 近年、終活という言葉は一般的になりつつあるが、これはエンディングノートや遺言、葬儀や財産分与などについて生前に自ら決めておくことを指す。人生会議は終活だけでなく、命に危機が迫った時にどのような医療、ケアを受けるのか、その人の生きざまが含まれる。 どんなに話し合う時間を持っていた患者、家族であっても後悔を抱かない人は少ない。言葉だけでその人となり、人生を全て把握することはできないだろう。しかし、言葉を尽くさなければ本人の望む医療、ケアが分からぬまま大きなシコリを残していくかもしれない。 今回のポスター掲示停止の一件が良くも悪くもさまざまな人の耳に入り、少しでもACPについて身近に感じられるようになることを祈る。そして、日常的にお互いに言葉を尽くして人生について話し合う「人生会議」の場を持てるような環境が構築されればと思う。参考:平成29年度 人生の最終段階における医療に関する 意識調査https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000200749.pdf厚生省 人生会議学習サイトhttp://www.med.kobe-u.ac.jp/jinsei/文責:医師 木村 ゆさみ
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スポーツ 2019年12月01日 08時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「栗栖正伸」復帰後に覚醒した恐怖の“イス大王”
デビュー以来ずっと前座でくすぶったまま引退した栗栖正伸だが、FMWで復帰すると希代の悪役として覚醒。大仁田厚の敵役として猛威を振るい、さらに古巣の新日本プロレスでは、正規軍相手に名勝負を繰り広げるのだから人生は何が起こるか分からない。※ ※ ※ FMWというと電流爆破などド派手な過激デスマッチばかりで語られがちだが、大仁田厚が「おもちゃ箱をひっくり返したような」と称した草創期も、なかなか味わい深かった。 素人丸出しの女子選手や肩書だけの格闘家、謎の怪奇派レスラーなど、うさん臭い連中も多く、当時のプロレスファンやメディアからの評価は、一度引退している大仁田当人も含めてガラクタ同然であった。 しかし、マニアックなプロレスファンたちは、正統派一色のメジャー団体やスポーツライクなUWFでは飽き足らず、冷やかし半分、まるで見世物小屋へ行くような心持ちで、妖しさに満ちた初期FMWの会場へと足を運んだ。 そんなファンたちのどこか下世話な好奇心に応えるように、FMW側も男女合同興行や異種格闘技でのデスマッチ、格闘家によるバトルロイヤルやタッグリーグ戦など、次々と業界初の試みを展開していった。 また、大仁田自身が堂々と「自分は落ちこぼれで弱い」と言い放ったのも、強さの追求が当然とされてきたプロレス界においては画期的なことであった。 1989年10月、愛知県露橋スポーツセンターでの旗揚げ戦では、大仁田はメインで青柳政司に蹴りまくられてのTKO負け。その試合後には「ファンのみなさん、プロレスを汚してごめんなさい」と涙のマイクパフォーマンスを行っていて、これが後年の大仁田劇場へとつながっていく。 ところが、こうした大仁田の“弱さ”はファンの同情心をくすぐり、それと同時に敵対する相手を実績以上に強大な存在へと格上げすることにもなった。 青柳に続いてライバルとなった栗栖正伸も、そんな一人と言えようか。 相手を半殺しにするまでイスでぶん殴る試合ぶりから、付いたあだ名は“イス大王”。’90年1月7日に開催された「第1回総合格闘技オープントーナメント」(後楽園ホール)なる大会でも、柔道家や空手家、テコンドー、キックの選手らが参加する中、やはり栗栖は相手をイスでバンバン殴りまくって優勝している。「栗栖に言わせると、まともにプロレスができない相手ばかりだったから、イスで殴るしか試合のつくりようがなかったということですが、ともかく、それが栗栖の代名詞となっていきました」(プロレスライター) ’72年に新日本プロレスでデビューした栗栖は、ジャパンプロレスとともに全日本プロレスへ移籍した後、’88年に引退。これは実際のところ、全日からの厄介払いであった。それが復帰したFMWで覚醒したのは、やはり弱い大仁田のおかげとも言えそうだが、一方で栗栖が本来の持ち味をようやく発揮できたとする見方もある。「初の海外遠征となったメキシコではルード(悪役)として大活躍し、関係者からも『客を怒らせるツボを知っている』『狂気じみた本物のルード』などの高評価を得ています」(同)★死力を尽くした橋本戦で男泣き だが、当時の日本においては“悪役の所属選手”という概念自体がなく、また外国人の大型ヒールがたくさんいた時代に、小柄な栗栖では見栄えがしないとの判断もあっただろう。その才能を披露する舞台には恵まれなかった。 そうして新日、全日においては不遇なレスラー生活をすごした栗栖だが、FMWでの活躍によって古巣の新日から改めて声を掛けられる。 そして栗栖は、後藤達俊やヒロ斎藤、スーパー・ストロング・マシンらのユニットであるブロンド・アウトローズの客分として、アニマル浜口らとともに参戦することとなる。しかし、’90年6月の復帰初戦、両国国技館で待っていたのは満場の観客からの「帰れ!」コールだった。「当時の新日ファンにはインディーなど認めないという意識があり、大仁田相手にキャラ変更しただけの前座レスラーが、主役級の扱いを受けることへの反発は相当に強かった」(同) しかし、栗栖はそんな一種の偏見にもめげず、正規軍相手にイスを振るい続け、ヒール道を貫く姿勢は徐々に新日ファンの心境を変化させていく。 同年8月、後楽園ホールでの橋本真也とのシングル戦。敗れた栗栖は右脚ふくらはぎの筋肉断絶、勝った橋本も左手甲を骨折と、互いに重傷を負う壮絶な喧嘩マッチとなったが、その試合中から栗栖への声援が飛び交い始める。 当時25歳の有望株である橋本を相手に、真っ向勝負を挑む栗栖への最大級の賛辞。試合後、敗者へ向けて万雷の拍手が送られると、さすがの栗栖もこれには男泣きするばかりだった。栗栖正伸***************************************PROFILE●1946年11月15日生まれ。鹿児島県肝属郡出身。身長175㎝、体重100㎏。得意技/イス攻撃、栗栖スペシャル。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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その他 2019年12月01日 07時00分
やくみつるの「シネマ小言主義」 テレビドラマ制作現場のお国事情『テルアビブ・オン・ファイア』
エルサレムをめぐるアラブとユダヤには、日韓とは比べようもないほど根深い敵対の歴史があります。たとえ世界中から紛争が消えても最後までいがみ合っていそうな両者。しかし、実際はイスラエル占領地区にもパレスチナ人は住み続けていて、銃を突きつけられながら検問所を通って職場に出かけるのが日常だということが本作から分かります。 そんな中東の現実をコメディーにした映画なのですが、いかんせん我々、日本人は民族対立の根っこの部分が分かっていない。だから、皮肉やユーモアが通じず、映画の狙いほどは笑えません。それならいっそ、かの地のテレビドラマと、その制作事情を垣間見られる映画と割り切ってはいかがでしょう。 気の弱そうなパレスチナ人青年の主人公サラームは、叔父さんのコネで、人気テレビドラマの現場に言語指導のスタッフとして潜り込んでいます。劇中劇であるドラマは、女スパイが暗躍しつつ、禁断の恋も盛り込まれた政治サスペンスもの。大げさな演出やクサい台詞が満載ですが、中東のご婦人方は「ロマンチックだわ♥」と夢中な様子。そこにパレスチナとイスラエルの境はなさそうです。 ひょんなことから、素人同然のサラームが脚本家の1人に抜擢されることも驚きなら、筋書きや結末に周囲が盛んに口を出し、自転車操業のように脚本を書いて撮影が行われることにもビックリ。まるで三谷幸喜の映画『ラヂオの時間』のパレスチナ版です。 主演女優が寝ている隣の部屋で脚本を書いたり、主人公の彼女がふらりと撮影現場に入ってきて、そのまま撮影を見学していたり…とにかくおおらかというか、警備までユルい。こんな作り方をしているの? と、自分の興味はそこに集中しました。 それでも、「検問所の日々」の閉塞感は十分に伝わってきます。今年はベルリンの壁崩壊から30年ですが、世界中で国境の壁は造られ続けています。世界は必ずしもいい方向へ進化していませんね。 辺境地に行くのが趣味なので、一般観光客として通過するだけですが、検問所は何度経験しても嫌なもんです。カメラや望遠鏡の類いは鞄の中にしまい、あまり緊張した顔をしても目を付けられるので、わざとのんきな風情を出すようにしますが、現地ガイドが同行しても何時間も待たされることも。 ところで、テルアビブだとどうしても赤軍派の事件を連想してしまいます。邦題は「中東ドラマの時間」など、のんきなトーンにした方がいっそよかったかも?画像提供元:(c)_Samsa Film - TS Productions - Lama Films - Films From There - Artémis Productions C623----------------------------■テルアビブ・オン・ファイア監督/サメフ・ゾアビ 出演/カイス・ナシェフ、ルブナ・アザバル、ヤニフ・ビトン 配給/アット エンタテインメント 11月22日(金)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開。■エルサレムに住むパレスチナ人青年のサラームは、人気ドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」の制作現場で言語指導として働いているが、撮影所に通うためには検問所を通らなくてはならない。ある日、妻がドラマの大ファンだという検問所の主任アッシから脚本のアイデアをもらったサラームは、その案が認められて脚本家へと出世する。しかし、ドラマが終盤に近付くと、結末をめぐって、アッシ(イスラエル)と制作陣(パレスチナ)の間で板挟みになり、窮地に立たされる。********************漫画家。新聞・雑誌に数多くの連載を持つ他、TV等のコメンテーターとしてもマルチに活躍。『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)レギュラー出演中
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その他 2019年12月01日 06時00分
本好きのリビドー
◎悦楽の1冊『東京定点巡礼―我が写真回想記』 富岡畦草 日本カメラ社 2200円(本体価格)★定点記録のパイオニアによる戦後東京の姿 先頃痛ましくも全焼してしまった那覇の首里城だが、先の大戦での米軍の攻撃による炎上後の復元に人間国宝の染織家、鎌倉芳太郎の功績が極めて大なのはあまり知られていない。 東京芸大出身の彼は沖縄で教師として教鞭をとる傍ら地元の美術工芸を研究。また、当時(大正年間)では最新式の機材を使っての写真撮影術をマスターして、首里城をはじめとする歴史的建築はもちろん、夥しい量の琉球文化をカメラに収め、収集した資料と併せたその数八千点近くとか。中にはのちに戦災で失われることになる歴代琉球王の肖像画なども含まれ、祖国復帰以前から沖縄における文化財の保存と伝承への貴重な貢献となったという。 二度目のオリンピック開催を控えて急速に再開発の進む東京育ちの身ながら、かつて文明開化が呼号された頃の明治の東京を永井荷風が忌み嫌ったかのごとく、昭和39年の五輪を口実に当局が執行した町殺しを怒り、高速道路が上空に建架されて以後の日本橋の光景を呪う作家の小林信彦氏のような心情が、正直、昭和49年生まれの筆者にはいまひとつピンと来なかったもの。そんな世代間の溝を埋める最良の一助となり得るのが本書ではないか。 教科書そのままの知識でいえば、“もはや戦後ではない”と経済白書に高らかに謳われたのが昭和31年の筈なのに、本書99ページ目にある国会議事堂前を写したショットに唖然とさせられる。昭和35年の8月日に撮影のそこには、ほぼバラック同然の家屋が文字通り議事堂の目と鼻の先で、しかも公務員用の宿舎。 その時点でまだ防空壕暮らしの生活者もいたそうで――一瞬を永遠にする手段としての写真表現のかけがえのなさに、改めて思いを致すこと頻りだ。_(居島一平/芸人)【昇天の1冊】 週刊実話誌上で約1年にわたり連載されていた官能小説が、文庫にまとまった『人妻喰い』(三交社文庫/722円+税)、著者は二階堂修一郎氏。 連載中のタイトルは『拳と美肉』。「あの連載か!」と、ご記憶の諸兄も多いはずだ。『芦屋未亡人』『犬になりたい上流夫人』『謎の鎌倉美人』など、ハイソでM気の強い奥様の不倫情事を描いた作品が多い。子供を連れて赴いた別荘で男と絡み合う「母は子の前で」など、背徳性の高い作品が所収されている。 一方で、やけに強引で積極的なぽっちゃり女との愛欲セックスを描いた『田舎熟女』は、唾液を交換するディープキスのシーンが生々しくてエロい。 どの作品にも共通している魅力は、女が精液や唾液をクチに欲しがり、飲みたがるフェチな描写。その従順で淫びな姿が、愛おしく感じる。 そんな性癖を持つのはやはり人妻に限るとばかり、1冊の中にこれでもかと“ごっくんシーン”が登場するため、全編にわたって体液の匂いが充満している。二階堂氏が書く小説の特徴であり、ツボにハマるのだ。 また、情事の相手をする主人公・武藤が道場を経営する60歳を超えた武道家というのも、ポイントが高い。体力にやや陰りは見えるものの、腕っぷしが強く精力旺盛で、熟女を組み伏せてはとことんヤリまくる。その姿に、実話読者諸兄はシンパシーと羨望を感じるだろう。ちなみに二階堂氏も、作家活動と並行して空手道場を経営しているそうだ。(小林明/編集プロダクション『ディラナダチ』代表)【話題の1冊】著者インタビュー早見和真★競馬を全く知らない人も楽しませる自信がある――競走馬や馬主の世界が圧倒的なリアリティーで描かれています。なぜ競馬をテーマにしたのですか?早見 デビュー以来、僕は書くという行為がひたすらしんどく、一方で書くことを楽しんでいる他の作家をずっとうらやましいと感じていました。するとあるとき、担当編集者から「なら単純に好きなテーマを書いてみたらどうですか?」と提案されて、そのとき思いついたのが、学生時代に入れあげたことのある競馬だったというわけです。これまで書き続けてきた“父と子”というテーマにも通じるという確信がありました。――競馬ファンのみならず、競馬を知らない素人からも好評ですね。早見 競馬関係者や全国の競馬場、トレーニングセンターなど、競馬関連では余すことなく取材ができたと思っています。取材に応じてくれたプロの方々に「面白い」と言わせないといけなかった一方で、競馬を全く知らない読者のことも想定しなければなりませんでした。競馬の知識なしで楽しめる作品にしなければならなかったんです。 実は取材している時に分かったのですが、ある厩舎の調教助手の方が『小説新潮』に連載していた『ザ・ロイヤルファミリー』を読んでくれていたんです。その人の感想が、やはり連載を読んでくれていた競馬を知らない女性書店員さんの感想と全く同じだった回があって。うれしかったし、これで行けるという自信にもつながりましたね。――物語では馬主、馬、それぞれが親から子へと世代交代していきます。第2部では怒涛の展開が繰り広げられますね。早見 最初から1部と2部で主人公がすべて入れ替わるイメージがありました。父が果たせなかった思いを子が受け継ぐ部分は書いていて楽しかったですね。 馬主のマネジャーとして仕えるクリスの視点にしたのは“異世界”である競馬の世界を現実的なものにさせたかったから。カズオ・イシグロさんの『日の名残り』をヒントにしています。この案を話した編集者も「それだ!」と大喜びしていました。――ラストでは引退を決めていた馬にまさかの出来事が起こります。早見 書き進めるうちに「こういう終わり方もあるのではないか」と考えるようになりました。負けるのが当たり前の競馬ですが、でも、勝負は何が起こるか分かりませんからね。――最後に実話読者に一言。早見 この小説を読んだら競馬に勝てます(笑)。『ザ・ロイヤルファミリー』を読んで、年末、有馬記念でみんな一緒に笑いましょう!_(聞き手/程原ケン)早見和真(はやみ・かずまさ)1977年神奈川県生まれ。’08年『ひゃくはち』で作家デビュー。’15年『イノセント・デイズ』で第68回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。『ぼくたちの家族』『小説王』『ポンチョに夜明けの風はらませて』など多くの作品が映像化されている。
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社会 2019年12月01日 06時00分
宝くじに当選した男、幼い息子を殺害して自殺 異常な行動も「妻にも原因がある」の声も
誰もが夢見る宝くじの高額当選。当選したら何に使おうかと考えたことのある人は少なくないであろう。その高額な当選金をめぐる事件がイギリスで発生した。 海外ニュースサイト『Daily Mail』は11月25日、宝くじに当選した男が、自身の息子2人を殺害した後、自殺したニュースを取り上げた。 報道によると2016年、英レスターシャー州に住む当時43歳の男は、事件発生の数カ月前に、宝くじで4万ポンド(約560万)を当てていたという。男は当選した事実を当時47歳の妻に隠していたようだ。 事の発端は、2016年11月1日、台所に置き忘れていた男の携帯を、男の妻が見たことだという。男の携帯メールから、売春婦と何度も会っていたことが発覚。さらに薬物の検索履歴も残されていたという。男は、息子の修学旅行費を工面できないほど、お金がないはずであった。妻は帰宅してきた男に、「警察に通報する」と告げると、男は謝罪を繰り返すのみだったという。 妻は男の兄弟と父親にも、この事実を報告。話し合いをするために外出したという。夜、妻が自宅に戻り2階へ上がろうとしたところ、男が麺棒で妻の後頭部を殴打。倒れた妻の頭に枕を押し付けて窒息させようとした。さらに、逃げる妻の背中を包丁で突き刺したという。妻は何とか逃げて、一命は取り留めたという。 騒ぎを聞きつけた近所の住人が警察に通報。警察が突入したときには、男はベッドの上で、胸に包丁を突き刺したまま息絶えた後だったという。当時11歳と5歳の息子2人も、子供部屋のベットの上で、手をつないだまま亡くなっていたという。息子2人の死因は明らかにされていないが、窒息死とみられている。 後に発見された男の遺書には、妻、息子2人への謝罪に加えて、「妻に追い詰められた。そっとしておいてくれたら、いつまでも幸せでいられたのに」とあった。調査は現在も続いているという。 このニュースが世界に広がると、ネット上では「家族のためにお金を使いたいと思わない時点で、父親の自覚無し。身勝手な男」「たかが4万ポンドで犠牲になった子供たちを思うと胸が締め付けられる」「妻にも原因がある。男を刺激しなければ、殺人まで発展しなかったかも」「妻に対する逆恨みか?しかし子供まで殺すなんて普通じゃない。精神疾患があったのか」など、さまざまな声が上がった。 海外には他にも、宝くじの当選金をめぐって家族を手をかけた男がいる。 海外ニュース『Gurdian』の2001年10月3日付の報道によると、宝くじに当選した男が、当選金を独り占めしたいがために、妻を殺害したという。 2001年4月、英マージーサイド州に住む当時54歳の男が、自宅で当時39歳の妻から離婚を切り出された。男は1995年に40万ポンド(約5600万円)の宝くじに当選しており、当選金の半分を妻に渡したくないと考え、とっさに妻を首を絞めて殺害したという。 男は姿を消したが、翌日警察に自ら出頭。男は妻を死なせたことは認めたが、殺意はなかったと供述したという。2001年10月13日、男に対し、過失致死傷罪で4年の禁固刑の判決が言い渡された。殺人では無罪となった。 大金を手にすると、欲が出て、本人でも分からないうちに人を狂わせてしまうのかもしれない。しかし、愛する妻やわが子を手にかけるなど言語道断である。有罪となれば極刑は免れない。記事内の引用についてMan who won £40k in the lottery killed his two sons, aged 11 and five, and himself and tried to kill his estranged wife after she discovered he had spent cash on prostitutes, inquest hears(Daily Mailより)https://www.dailymail.co.uk/news/article-7723061/Father-43-died-two-sons-home-controlling-abusive-husband.htmlMan 'killed wife to avoid sharing big lottery win' (Guradianより)https://www.theguardian.com/society/2001/oct/03/lottery.uknews
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ミステリー 2019年11月30日 23時00分
霊能者と超能力たちの末路
超能力者や霊能者の中で本物というか、トリックを使っていないと思われる人物はほとんどいない。あるテレビ局で役員を務めていた方とぶっちゃけ本音で話した時、大部分の霊能者や超能力者がトリックや事前調査をやっており、何もやってなかったのは木村藤子だけではなかったのかという見解で一致した。今後判明次第、何らかの形で報告するが、今の段階で筆者は木村藤子に関しては、事前調査やトリックが見当たらないと記しておく。 他の能力者たちの末路は哀れである。あの独特の風貌で人気を博した織田無道は後年、「自分には霊能力などはなかった」とカミングアウトしている。織田無道の本には鑑定依頼のクーポンさえついていたではないかと、思わずツッコミを入れたくなった。見るからに破戒僧と言った外見から、ある意味タレントとしてテレビに出ていたのであろう。 藤田小女姫に至っては殺害されている。1994年2月にアメリカ合衆国ハワイ州ホノルルで殺されるという運命を、霊感少女だった彼女は予知できなかったのか。この藤田小女姫は、1950年代に占いがよく当たる少女としてマスコミに取り上げられ、人気がブレイク。霊感少女として一世を風靡した。1960年代にも人気占い師として多くの事象を的中させたと言われているが、そのトリックも判明している。彼女は自民党の大物代議士複数と親しく相談に乗っており、多くの政治経済に関する極秘情報を聞いており、その情報を違う場所でアウトプットすることで予言的中を演出していたらしい。よく占い師は自分のことはわからないと主張するが、自分の死の予言は全くなかったのだろうか。 他にも「こんなん出ました〜」と素っ頓狂な声で叫ぶことで人気のあった白蛇占いの泉アツノも同様だ。白蛇を体に降ろして占う時にはドスの効いた声で話すが、結果が出終わると甲高い普通のおばちゃんの声になるギャップが面白く、一躍テレビの人気者になった。彼女の場合は、この一連の演出を当時の関西テレビの社員が考え出し、彼女はそれを演じていただけだったらしい。 メディア主体で全ては流行と言えばそれまでだが、いずれもあまり良い末路を辿っていないのは一抹の悲しさを覚えるものである。※文中敬称略(山口敏太郎)
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