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『世界に一つだけの花』は、槇原敬之の失敗なくしては生まれなかった?【有名人の消し去りたい“黒歴史”】

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 5月1日から施行される新元号「令和」の決定に伴い、1日正午、安倍晋三首相が記者会見を開き、談話を発表した。質疑応答では、安倍首相が2016年に解散したSMAPのヒット曲『世界に一つだけの花』に言及する一幕もあり話題を集めた。

 同曲は、2003年3月に元SMAPの35枚目のシングルとして発表されたもの。グループ初の200万枚以上のセールスを記録した名曲を手掛けたのは、歌手の槇原敬之である。槇原によると、同曲は締め切りが迫る中で書き上げたという逸話もあるようだ。

 槇原というと、1990年3月に開催された『AXIA MUSIC AUDITION '89』で、グランプリを獲得。そのときの応募曲が、後にデビューシングル『NG』となる。同曲のデモテープのサポートギタリストは、従兄のエンターティナー・ROLLYということも有名だ。

 1991年6月にリリースした『どんなときも。』はミリオンセラーを記録。自身最大のヒット曲は、今なお名曲として語り継がれている。その後も『もう恋なんてしない』などヒット曲を連発。さらには、楽曲提供にも注力。槇原の活躍ぶりは、当時の時代の象徴でもあった。だが、“黒歴史”というには、あまりにも衝撃的な事件が過去にあったのだ。

 1999年8月、槇原は自宅のペンケースの中に覚せい剤を隠し持っていたとし、覚せい剤取締法違反容疑で現行犯逮捕された。前年にはゴールドディスク大賞を受賞するなど活躍を見せていた矢先の逮捕。槇原のファンは、CDの回収を予測し、購買運動に走った。この影響で全作回収直後に異例の売り上げを記録する現象が起こった。そして、執行猶予の判決が下った槇原は、無期限の活動停止状態に追い込まれた。

 そして、この逮捕は槇原が“ゲイ”であることが公になった瞬間でもあった。当時、槇原と一緒に逮捕された男性は、新宿2丁目のゲイバーに勤めていた、後の槇原の事務所社長となる奥村秀一氏こと“オカマの金ちゃん(金太郎)”。ファンはその存在に度肝を抜かれた。槇原と“金ちゃん”の交際、同棲までも発覚し、大きな衝撃を与えたのだ。

 「槇原は裁判で、覚せい剤は“金ちゃん”に教えてもらったと証言し、互いに快楽を求めセックスにふけっていたようだ。また、槇原はこれまで女性経験がないことも告白し、根っからの“ゲイ”であることをカミングアウトしたという。さらには、制作した楽曲にあったエピソードは、槇原が男性との恋愛経験が主。“金ちゃん”も作詞の一部を担当していたようだ」(芸能ライター)

 自身のアルバム発売直後だったこともあり、ツアーの中止やCDの店頭回収、違約金を含め、槇原は7億円の借金を抱えたと報じられている。イメージ回復は困難とされていたが、執行猶予期間中の2000年には早々と復帰を遂げ、同年11月にアルバムを発売した。そして03年、冒頭の『世界に一つだけの花』を世に送り出し、またたく間に表舞台に戻ってきた。

 槇原は、逮捕という失敗から学び得た経験を活かし、『世界に一つだけの花』という歴史に残る名曲を書き上げたに違いない。そして世間は、槇原の“黒歴史”にこだわらず、作品の素晴らしさを評価したといえるだろう。また槇原は、犯罪歴や同性愛者である偏見を乗り越えて復帰を果たし、藤井フミヤや浜崎あゆみなどの名だたるアーティストへの楽曲提供。名曲メーカーとして音楽の世界で返り咲いたのだ。

 先月、麻薬取締法違反の容疑で逮捕されたピエール瀧被告の報道はいまだにやまず、発売された作品に対する制裁措置があまりに厳しいという声が後を絶たない。槇原の逮捕時と比較すると、時代背景に差があり、現代はSNSの普及が進む。不祥事に対する世間の目が厳しくなったとの見解もある。

 槇原は、逮捕から1年後に復帰を遂げ、2007年には『NHK紅白歌合戦』に2回目の出場を果たしたが、瀧被告が槇原同様に復帰を遂げることは可能なのか。このご時世では、あまりにも無理難題である。

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