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木村派のさんまがキムタクにプレゼントした物

 SMAP解散まで100日をきっているが、メンバーは依然として本音を語っていない。唯一のレギュラー番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)でも、“5人ライブ”は実現していない。大みそかの“紅白歌合戦”出場も暗礁に乗り上げている今、“沈黙のSMAP”のまま解散となってしまうのか…。当分、目が離せなさそうだ。

 芸能界ではなぜか、ダウンタウン・松本人志が中居正広派、明石家さんまが木村拓哉派と見る向きが生まれているが、これはあながちウソではない。木村はさんまと10年以上にわたる仲。妻でタレントの工藤静香とも、さんまは、一緒にレギュラー番組を務めていたため、さながら家族ぐるみの付き合いだからだ。そんな2人を強く結びつけるきっかけになったのは、ゴルフだ。

 10代のころ、木村は「ゴルフはおっさんがやる遊び」と決めつけていた。しかし、二十歳でつかんだレギュラー番組『夢がMORIMORI』(フジ系)で、担当プロデューサーに誘われて初チャレンジ。「どうせこんなの(将来)やんねーし」と渋々付きあったに過ぎなかったため、楽しくなかった。そんな固定観念を覆した人物が、さんまだった。

 02年の連ドラ『空から降る一億の星』(フジ系)で初共演した2人は、撮影の空き時間に雑談。負けず嫌いの木村の性格を知っていたさんまがわざと、「麻雀とゴルフだけは、おまえに絶対負けへんわ」と豪語した。その罠にまんまと引っかかった木村は、「今、なんて言いました?」とムッとした。

 その年11月13日、30歳になった木村の誕生日にさんまは、ゴルフクラブ一式をプレゼントした。一緒にラウンドを回ろうという意味を込めたものだった。大事な先輩からもらった高額なものを、邪険に扱うわけにはいかないと、木村は徐々に特訓をはじめた。上達したころ、コースデビュー。相手は、さんまだった。

 その後は、生まれ持った運動神経の良さでメキメキ頭角を現し、40代にさしかかるころには、「ゴルフが趣味」と呼べるようになった。俳優・沢村一樹や後輩のKAT-TUN・亀梨和也を誘って、コースに出たこともある。およそ8年前には、テレビ番組の企画でプロゴルファー・石川遼と対談。ひとつの夢を実現させた。

 そして今年1月には、ゴルフウエアのMUNSINGWEAR(マシングウェア)のアジアのブランドキャラクターに起用された。今後、日本を含まない中国、香港、マカオ、台湾、シンガポール、韓国を中心としたアジア各国でブランド認知の向上と事業拡充を図るため、同社の代表モデルに抜てきされたのだ。

 30代のあのとき、さんまからギフトと課題を与えられなければ、ゴルフの楽しさを知らずにいた。アラフォーの今では、サーフィン、ギターに肩を並べるほど夢中になっているゴルフ。それは、さんまと木村がおじいさんになっても趣味を共有しようという、確認作業なのかもしれない。

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