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田中角栄「名勝負物語」 第六番 竹下登(2)

 田中角栄と竹下登は、ともに無類の人心収らん術など、他の追随を許さぬものがあった。永田町取材に半世紀の筆者は、この間、あまたの国会議員に接してきているが、気配り上手という点で言えば、この両人が双璧である。他の歴々も、こと気配りという点では足元にも及ばない。

 一方、気配りはあちこちへの目配りが不可欠なことから、頭のよさが必須要件となる。その意味では、田中も竹下も頭のよさが飛び抜けていた。これがとりわけ田中にとっては、「竹下、油断ならず」で、時に「近親憎悪」的な感情を持たざるを得なかったということであった。

 頭脳明敏ぶりは、なんとも酷似していた。二つの例、エピソードを挙げてみる。

 田中が省庁役人の経歴を頭に叩き込み、時に「○○君、キミは…」などと親近感を持って語りかけ、役人との関係を作り上げていったことはよく知られているが、竹下にも同様の話がある。

 竹下は島根県議会議員を経て国会議員になっているが、県議時代にこんなエピソードを残している。かつて、筆者が竹下の地元、島根県出雲市の後援会幹部から聞いた話である。

 「県議に当選するや、竹下は県庁の職員名簿から、課長以上の名前と写真とにらめっこ、一晩で頭に叩き込んでしまったそうです。県庁内で職員に会うと『やぁやぁ、△△さん…』などと声をかけ、相手との垣根を取り払っていったから、県庁内でもすぐ人気者になった。

 県議2期目あたりでは、頭のいい竹下はすでに県予算についてのノウハウはすべて熟知、勉強不足の先輩議員の“知恵袋”にもなっていたのです。『この補助金は県庁のどの課に行ったらラチがあくか』と聞かれれば、たちどころに『それは地方課がいい』などと教えるほか、わざわざ自分から地方課の課長に電話を入れてやったりしたものです。当選回数は少なくても、先輩議員が一目置くほどの“デキる議員”として県庁内に知られていた。

 また、県議会での先輩議員の質問原稿を書いてやることもあり、「次代の双肩を担う青少年のために」との文面を、先輩議員が議場で「肩」を「眉」と読み違い、「マユで次代が担えるか」とヤジを飛ばされたなどのハナシも残っている。

 もう一つ、田中が竹下のあまりの頭のよさにうなった“1000本のタテカン(立て看板)事件”というのがある。昭和40(1965)年7月投票の参院選運動期間中の出来事であった。当時、竹下は内閣官房副長官、田中は自民党幹事長であった。折りから、田中幹事長が選挙遊説のため、車で山口県から竹下の地元・島根県を通って鳥取県へ抜ける行程であった。その道筋のことである。

 田中が来るということで、竹下は山口県と自分の地元の島根県境にある津和野で、幹事長一行を出迎えた。日本海沿いに京都方面へつながる国道9号線を、竹下は田中らの車の先導車に乗って走ったのだった。

★こわばる田中の顔
 ところが、田中がふと見ると、並ぶ道路端のコンクリートの電信柱の何本かおきに、「歓迎 田中幹事長」というタテカンがあるのはいいが、これがなんと地平線の彼方まで並んでいるではないか。米子で小休止となったとき、田中が竹下に尋ねた。「竹下クン、あのタテカンはキミがつくったんだろう?」、竹下はニヤリと笑って「そうです」と答えた。

 「延々と続いておったが、一体、キミは何万本アレをつくったんだ。ワシの遊説日程は、数日前に決まったばかりだ。よく何万本もつくれたな」と田中。竹下は「さすがの幹事長も、私の“手品”のネタは見破れませんでしたか」と嬉しそうに言ったのだった。

 竹下は、ここで次のような“ネタばらし”をした。実は、つくったタテカンは1000本足らずであった。これを並べ終わったところに、近郷近在の人を集めておくのである。「幹事長、だいぶ人が集まっているようですから、ここらでひとつお話を」とやる。田中は「ヨッシャ」で止めた車の屋根から、「ヤアヤア皆さん、私が田中角栄であります」などと演説をブチ始めたのは言うまでもなかった。

 この隙にである。竹下後援会の青年部が10台ばかりのトラックに分乗、通りすぎたタテカンを次々と回収、田中の演説が終わるまでに、それっとばかりこれから走る先の道路わきの電柱に並べていたということだった。次の場所、その次の場所でも、これが同様に繰り返されたのだった。

 この“ネタばらし”に、田中は破顔一笑して「参ったな」と言ったが、竹下と分かれた直後の田中の表情は「こわばっていた」という。このとき田中幹事長の選挙戦に同行した記者の次のような“感想”が残っているのである。

 「田中は竹下が延々と切れ目なくタテカンを並べて歓迎してくれたことに脱帽、感謝の気持ちを持ったのは確かなようだった。その一方で、こうした知恵の働く竹下に、ある種の脅威を感じたようにも見えた。この男は、将来、自分のライバルになるんじゃないかと。田中の人を見る目の“眼力”は、怖いほどの定評があった。案の定、田中がのちに首相の座を下りたあと、それが現実になっていくことになるのだが…」

 なるほど、竹下の「おしん」とも形容された「辛抱哲学」に基づく極め付け人心収らん術は、以後も随所で田中の心胆を寒からしめることになるのだった。
(文中敬称略/この項つづく)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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