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【バラエティ黄金時代】「27時間テレビ」を発端に飛躍していったSMAP

 チャリティを全面的に押し出した日本テレビ系『24時間テレビ 愛は地球を救う』のアンチテーゼのごとく、フジテレビが1987年にスタートさせたのが、“27時間テレビ”。障がい者や家族、友だちや街に特化して、美談に帰結する日テレと相反して、フジは笑い、パロディ、ユーモアに重きを置いた。今年7月で29回目。今年は平均視聴率10.4%(関東地区/ビデオリサーチ調べ)で、歴代ワースト3の数字を叩き出したが、夏の風物詩としては、すっかり定着している。

 開始時の名称は、『FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』。「募金はおこなっておりません」というテロップを何度も流さなければならないほど、日テレの知名度・浸透率を痛感させられる船出だった。総合司会はタモリと明石家さんま。ふたりは、「たった1回だけの特番」という約束で引き受けたが、バラエティに活況があった時代背景と、初の夜通しバラエティという物珍しさで、平均視聴率19.9%をマーク。92年には、瞬間視聴率38.3%を弾きだすほどの人気コンテンツに成長していた。

 ビートたけし、笑福亭鶴瓶、所ジョージ、桂文枝(元:桂三枝)など、フジにゆかりのある東西の大物タレントが歴代総合司会を務めてきたが、ルーツは、タモリ司会の『笑っていいとも!』。同番組にレギュラー出演、コーナーMCを担当したタレント、素人参加コーナーで異彩を放った一般人などがフィーチャーされやすかった。いっぽう、バラエティ能力と適応力が著しく試されるため、新人アナウンサーや局アナにとっては、戦々恐々の現場でもあった。

 タイトルに、「FNS」、「1億2500万人」(前期は「1億人」)、「夢列島」を入れるのがお決まりで、放送時間はだいたい24時間(当時)。節目となる第10回(96年)は、アトランタ五輪の開幕直前ということにかけて、「夢リンピック」なる造語を生み、“パーソナリティー制度”を初めて導入した。その記念すべき初代に就任したのは、同年に初の冠番組『SMAP×SMAP』をスタートさせたSMAPだった。

 くしくも、SMAP初のレギュラー番組も、このフジだった。88年4月にスタートした『いつみ・加トちゃんのWAーッと集まれ!!』が、それ。さらに、光GENJIの大ブームが去り、歌番組が消滅し、生きる術を失いかけたとき、活路を見い出すきっかけとなった番組『夢がMORIMORI』(92年4月〜)も、やはりフジだった。

 ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、さらに“ボキャブラ芸人”に続く、フジの有力コンテンツの一翼を担ったSMAPは、この時期から破竹の快進撃を遂げる。

 先の第10回は、放映時間が29時間半で歴代最長。スポーツがテーマで、深夜のスポーツバトルでSMAPは、たけし、さんまとバトルを繰り広げ、抜群の順応性を発揮。翌日、スポーツをしている本人が登場する企画コーナーでは、まだ20代の中居がソロで司会を担当。ここで抜群の仕切り力を見せて、スタッフからの高い評価をゲット。司会業という新たな才能を開花させた。

 以降SMAPは、さんま、たけし、タモリに肩を並べるほど、フジの顔になっていく。それを証拠に、27時間テレビに拡張された97年から毎年、何かしらのコーナーに出演しては、しっかり爪痕を残している。98年には、中居が初の総合司会に抜てき。“スマスマ”の人気コーナー“BISTRO SMAP”では、当時の首相だった細川護熙さんに料理の腕前を披露している。3年連続で総合司会を務めた中居にとって、その最後にあたる2000年に、深夜のぶっちゃけ企画『さんま・中居の今夜は眠れない』が開始。03年には、泥酔して眠ってしまった鶴瓶が、局部をあらわにする“珍プレー”が起きた。

 04年には、中居がナインティナインとタッグを組んで、総合司会。香取慎吾は07年に、映画『西遊記』の公開を記念して、初の総合司会。東日本大震災が起こった11年には、ナイナイと総合司会を務めた中居を除くSMAPメンバーが被災地を訪れて、“出張BISTRO”を決行。12年には、100kmマラソンに草なぎ剛が初挑戦して、涙の完走。そして、昨年14年は、SMAP全員が初めてそろって総合司会を務めた。

 開局55周年を迎え、苦境からの脱却をはかるフジ。数字という結果がともなわない状況下でも、攻めの姿勢を崩さないのはさすが、バラエティのフジである。

(伊藤雅奈子=毎週木曜日に掲載)

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