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関ジャニ村上の目標は、さんま・紳助 活動の分岐点となった「吉本の女帝」のしごき

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 関ジャニ∞・村上信五が、2020年に開催される東京オリンピックでフジテレビ系のメインキャスターを務める。ジャニーズ事務所の先輩では、20代にしてキャスター、メインMC、総合司会といった番組仕切りの肩書きを制覇した元SMAPの中居正広が、その道のエキスパート。村上は中居より9歳年下だが、地元の関西弁を捨てることなく、レギュラー番組や特番の司会をマルチにこなしてきた実績は評価されてしかるべき。元関西ジャニーズJr.の改革者といっていい。

 資質は生まれ持った才能だったようだ。事情通の芸能ジャーナリストが教えてくれる。

 「お笑いの文化が発達している関西で、村上さんは中学生時代から明るいひょうきん者。高校進学の時には、真剣に大阪NSC(吉本興業が運営するタレント養成学校)に行こうと思っていたほどです。でも、V6の人気が爆発したころ、友だちから『むっちゃんも(ジャニーズに)イケるんちゃう?』とそそのかされて履歴書を送ると、合格してしまいました」

 天賦の才を磨いたのは、あまたの吉本芸人が脇を固める関西のローカル番組の数々。21歳でレギュラーメンバーに加わった、女性お笑いコンビ・ハイヒールのモモコMCの「モモコのOH!ソレ!み〜よ!」(関西テレビ)が分岐点だった。

 あまたの関西ジャニーズJr.が出演してきた同番組に、村上はジャニーズ史上最長となる9年半にわたって出続けた。芸人さながらの身のこなし、語彙力や対話力を身につけたのは、“吉本の女帝”ことモモコや、並み居る関西芸人たちに揉まれた証。この経験が、こんにちの村上を形成した。

 当時から今なお、プライベートの飲み仲間に、おデブタレントの内山信二がいる。村上は内山に酔うと、「おもろなりたいんや〜」と本音を漏らし、「(明石家)さんまさんになりたい」、「(島田)紳助さんになりたい」と続けたという。

 20代のころすでに、番組の看板MCになりたいこと口にしていた。30代になってその夢は叶い、バラエティ番組で、さんまやダウンタウンと互角に張り合えるまでに成長。ビートたけしとは、「FNS27時間テレビ」(フジテレビ系)で3年連続タッグを組み、今年も11月2日から3日にかけてオンエア予定。総合司会のたけしをサポートする「キャプテン」の任を仰せつかっている。

 関ジャニは、9月3日の東京ドーム公演において、今年の5大ドームツアー「十五祭」が終了。翌4日、故・ジャニー喜多川社長のお別れ会が同所で開催され、ジャニーさんの“子ども”たちは本当の意味で子離れする時がやってきた。

 昨年、関ジャニは、歌唱の肝であった渋谷すばるが脱退するという試練を乗り越え、今度は錦戸亮が9月末に脱退、ジャニーズ事務所退所を発表した。年末に向けて、“村上五輪”に匹敵する明るいニュースを望みたいところだ。
(伊藤由華)

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