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福島県須賀川市「悪魔祓い事件」の実態②

●同地に受け継がれる拝み屋信仰の源流

 須賀川の現場に足を運ぶと、事件が起きた家は今も壊されずに残っていた。それにしても、なぜこのような陰惨な事件が発生したのか。まずは祈祷師の江藤幸子の半生を紐解いてみたい。

 江藤は福島県内の高校を卒業後、化粧品の販売員となり、瞬く間にトップセールスレディーに上り詰めた。夫は高校の同級生で、塗装業などを営んでいたそうだ。事件を起こす11年前の1984年に事件現場となった場所に家を建てている。

 「化粧品のセールスとい職業柄か、格好は派手でした。見栄っ張りなところもあって、高い調度品を集めていたり、当時は手に入れるのが大変だった金木犀の木を植えたり、家の石や屋根瓦なんかも、高いものを使っていて。車も2台あったし、旦那さんも会社の社長然としていて、地味ではなかったですね」

 引っ越してきた当初は近所付き合いもあり、家に招かれることもあったと近所の住民は言う。そして、マイホームを手に入れ、傍から見る分には生活は安泰のようにも見えた。

 しかし、江藤は人に言えない悩みを抱えていた。夫のギャンブル癖に頭を悩まされていたのだ。さらに、夫が転職したこともあり、家のローンの支払いにも苦慮していた。

 そんな江藤は、その頃から、近所にいた「拝み屋」と呼ばれる祈祷師のもとに通い始めたという。江藤と同じ新興住宅地に暮らす男性が言う。

 「よく当たるって評判のお婆さんで、そこに通っていたそうです。この辺りでは、お祓いするために、寺や神社だけじゃなく、拝み屋さんのところに行くのは普通のことなんですよ。今は少なくなりましたが、昔は何人も拝み屋さんがいました」

 人に相談できない悩みを拝み屋に話すことによって、江藤の心が満たされていったことは想像に難くない。すると、次第に傾倒が始まっていく。そして、いつの間にか、化粧品のセルスレディーも辞めて、自身が祈祷師となったのだ。

 拝み屋と呼ばれる民間の祈祷師たちは、ここ福島だけでなく、日本各地に存在した。その名残りが、青森県のイタコや高知県の山間部にいるいざなぎ流の神官である。

 福島の拝み屋は、かつて、「巫女さん」や「法印」と呼ばれたという。明治時代には、日本民俗学の礎を築いた柳田国男が、福島県いわき市の巫女さんを調査している。福島県内には1980年代まで、100人ほどの巫女さんがいたという。そのほとんどが、須賀川市などの県南部に集中していた。理由は、同地の大部分が阿武隈高原の山間部であり、以前は生活が厳しく、病気の治癒など日常生活において人々を支えてきたのだった。さらには、須賀川市と接する玉川村の山間部は平安時代から山岳信仰が盛んで、江戸時代まで修験者たちが庵を結んで暮らしていたという。江戸時代以降、そうした者たちが、祈祷師などになった。巫女さんや祈祷師が日常生活に溶け込んでいることが、江藤の犯行だけでなく、悪魔祓いの被害者を生む要因となった。
(明日に続く)

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