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異説「六部殺し」〜猿害の恐怖! 旅人を襲った野猿

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 怪談「六部殺し」とは、金品を奪うために旅の途中の「六部」を殺した農夫が、それを元手にして財を成すが、誕生した息子は、殺された六部の生まれ変わりとなり、悔いた農夫は犯行を断罪するという話である。「六部」は、江戸時代に全国66州の霊場へ六十六回写経した法華経を一部ずつ納めて歩く勧進の巡礼者のことで、「六十六部回国聖」ともいう。六部は行く先々の民家や寺堂に泊まり歩いた。また、旅の途中で、六部は金品目的で盗賊に殺害されることが多く、「六部殺し」、「こんな晩」などの怪談・民話として日本各地に伝わっている。

 愛知県豊田市吉原町にあるトヨタ車体(株)・吉原工場の北側に小さな霊園がある。その中に「六部の墓」がひっそりと立っている。墓標には、「浅野五ヱ門 岡崎出身」とある。六部の名は浅野五ヱ門といい、その名前から武士と判断される。だが、いかなる理由で故郷を捨て、巡礼者になったのか、その理由は不明である。さらに「寛文3年4月3日、野猿のため終焉」と刻まれている。すなわち、この六部の死因は野猿によるものであった。

 近年、ニホンザルが農作物を食い散らかし、住民へ危害を加えるなどの「猿害」は山間部に近い地域で深刻な問題になっている。サルの行動域が市街地に広がってきて、 被害が拡大してきているのだ。しかし、野猿による殺人は例がない。どのようにして野猿は六部を殺害したのであろうか?

 寛文3(1663)年4月、一人の六部が、吉原(愛知県豊田市)から岡崎に向って急いでいた。日も暮れかかり、辺りは薄暗くなり、だんだんと心細くなってきた。行く道はは木々が欝蒼とした雑木林の小道である。引き返して宿に泊まるのも面倒くさいし、野宿にはまだ寒い、半時も歩けば岡崎に辿り着く。六部はそう決心し、急いで歩き出した。六部の足音に驚いた鳥が飛び立ち、枯葉を踏みしめる足音が前・後ろに音が続き、夜道には六部が叩く鐘の音が響き渡っていた。

 「早く、雑木林をぬけなければ」と、六部が足を速めた時、一匹の野猿が目の前に飛び出してきて、六部目がけて飛び付いてきた。そして、腋の下や背中など体中コチョコチョと擽り始めた。

 「アハハハ、アハハハ、やめてくれ!」六部はしがみついてくる野猿を振り払えずにいた。そのうちに、六部は笑い過ぎて、胸がドキドキし、腹も痛くなってきた。着物も手甲も脚絆も破られてしまった。「アハハハ、アハハハ、苦しいもうやめてくれ!助けてくれ!」遂に、笑いながら六部は息絶えてしまった。

 六部の死後、山内茂七と野場長衛という者が六部を哀れんで墓を建てた。人々は六部の墓として、懇ろに弔ったという。

(写真:「吉原町南墓地」)
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)

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