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ダイナマイト関西 “闘いの聖地”後楽園ホールで引退試合、対戦相手は尾崎魔弓

 OZアカデミー所属の“強すぎる女子プロレスラー”ダイナマイト関西が11日、東京・後楽園ホールで30年の選手生活にピリオドを打った。最後の対戦相手は、86年8月に旗揚げされたジャパン女子プロレス(消滅)の1期生で、唯一の同期である尾崎魔弓だ。

 デビュー場所でもある“闘いの聖地”が、関西のイメージカラーであるグリーンに染まった。昭和と平成の女子プロ界をけん引した功労者の最後を見届けるために、2,100人の大観衆が集まった(超満員札止め)。リングには黄緑色の紙テープが大量に投入され、館内は蛍光ペンライト、「DYNAMITE KANSAI」と書かれたエアバルーンで彩られるなか、最後のゴングが鳴った。尾崎率いる正危軍のセコンド乱入、場外戦で袋叩きに遭うも、ハイキック、ラリアートで反撃。20分を過ぎるころには、10回連続のバックドロップで畳みかけ、衰え知らずの強さを誇示した。30分を過ぎると、得意技であるグリーンフォール、ダイビング・フットスタンプを披露して、32分25秒、スプラッシュマウンテンからのエビ固めでとどめを刺した。

 30年のレスラー人生は、波乱に満ちていた。「ミスA」のリングネームでデビュー、JWP移籍後は、史上空前の団体対抗戦で最前線を走った。95年8月には、全日本女子プロレス(当時)のトップファイターだったアジャ・コングから、WWWA世界シングル王座を奪取。同王座初の他団体流出だった。フリー転向後はGAEA JAPAN(消滅)を主戦場にして、クラッシュ・ギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)改めクラッシュ2000と好試合を展開。OZ所属後は、唯一無二のポジションをキープした。

 しかしその一方で、97年8月、同期のプラム麻里子さんを試合中の事故で亡くす悲しみも経験。20代から膠原病を患っており、12年には肺がんが発覚。左肺の半分を摘出する手術を受けている。

 ビッグファイターを労うべく、引退セレモニーでは俳優・谷原章介、クワバタオハラ・くわばたりえや、ジャパン女子発足メンバーのナンシー久美さん、元クラッシュの飛鳥さんほか、多くのOGが花束を贈呈。2児のママとなった同期のキューティー鈴木さんは、プラムさんの遺影を手にして涙を拭った。盟友のアジャには、最後のラリアートをブチ込んで、惜別の3カウントに泣いた。ビデオメッセージでは、デビル雅美さん、北斗晶も“出演”。セレモニーラストでは、尾崎から卒業証書が読みあげられると、関西もしたためていた手紙を読み、互いに涙で声を震わせた。

 「この30年間、プロレスラーでよかった。いろんなことを経験できたし、最後にこの後楽園で引退できるのを、うれしく思ってます。今までダイナマイト関西と関わって試合をしてくれたみなさん、ありがとうございました。胸を張って、このリングを下りることができます。悔いはありません。これからはみなさんと同じく、リングの外からプロレスを応援していきます」。テンカウントゴングのあとは、黄緑色の紙テープと大きな声援が、再び関西を包みこんだ。

 試合後は、「これでお客さんは納得・満足してくれたかな、ダイナマイト関西でお腹いっぱいになったかなって感じ」と笑み。10連続のバックドロップに関しては、「もう2度とあの角度は出ないだろうと思い、尾崎にできるだけ強くぶつけました。あいつほど受けっぷりがすごいレスラーはいない、あの(小さな)体で」と、ベタ褒めだ。今後については、「休養して、体を治してから、考えてることはあるので、第二の人生もスポットライトを浴びれるようにがんばります。後輩に恥ずかしくない人生、後輩が胸張っていける道を作っていければ最高ですね」という。体調は「いいか悪いかでいったら、決して良くはない」。そのため、「ここが限度。ここで決めて良かったと思います」と、節目のリタイヤに悔いはないようだ。

 デカくて、強い。明るさと寂しがりな部分を内包させた完全無欠の女子プロレスラー、ダイナマイト関西。これにて、終結。(伊藤雅奈子)

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