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ブルーサンダー打線からイチロー、暗黒期、そして合併を経てバファローズへ… オリックスが歩んだ平成

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オリックス宮内義彦オーナー

 昭和63年11月4日、オリエント・リースは、阪急から球団を正式に買収。翌年、同社はオリックスに社名変更し、新球団オリックス・ブレーブスが産声を上げた。当時、阪急ファンの誰もが突然の球団買収劇に耳を疑ったという。現在の関西私鉄勢力図を見ても、阪急が水面下で買収に向けた話し合いを続けていたことを信じられないのは無理もないだろう。

 平成元年に生まれ変わったチームは山田久志、福本豊が阪急最終年に引退したため、残った戦力に加えて、「福岡に行きたくない」と大阪に留まる考えを明らかにしていた南海(ダイエー→ソフトバンク)から門田博光が加わり、ブーマー、石嶺和彦らとブルーサンダー打線で話題となったが、門田がブーマーとハイタッチした際に脱臼。翌年に退団、阪急時代から引き続き指揮を執っていた上田利治監督も辞任している。

 平成3年、本拠地を西宮球場からグリーンスタジアム神戸に移転。監督も土井正三監督が就任し、阪急色が一気に消えた。この年オフ、ドラフトで田口壮(現・一軍野手総合兼打撃コーチ)やイチローを獲得。ブーマーが退団した。土井政権は優勝することなく、平成5年を以って退団。近鉄を優勝に導いた仰木彬監督が就任。仰木監督の就任はブルーウェーブ時代の幕開けの瞬間となった。

 仰木監督はイチローの才能を見いだすと、売り出していく。そんな監督の期待にイチローも応えて、日本新記録(当時)の年間210安打を放ち、パ・リーグ新記録(当時)となる打率.385を記録する大活躍。一気にスターに上り詰めた。平成7年1月に阪神淡路大震災が発生。グリーンスタジアム神戸も一部が破損する被害に遭った。チームは「がんばろうKOBE」をスローガンに掲げて、被災者に勇気や希望を与えるべく、一丸となって闘い、阪急時代以来11年ぶりにリーグ優勝。日本シリーズにはヤクルトに敗れたが、翌年もリーグ連覇を果たし、巨人を相手に日本シリーズを制し、日本一に輝いている。

 平成12年オフ、イチローがポスティングシステムを使って、メジャーリーグのシアトル・マリナーズへ移籍すると、翌年に仰木監督も退任。チームの話題性は下降していく。ここから暗黒時代が続き、田口もメジャーへ。石毛宏典、レオン・リー、伊原春樹と監督が次々に変わっていったが、弱小チームに転落。ファンも激減していった。そんな矢先、予期せぬ球団再編劇が起こる。

 2004年はシーズン中に、オリックスと近鉄が球団統合に向けて話し合いを行っているという報道があり、球界は大騒動に。楽天が新規参入を果たし、ソフトバンクがダイエーを買収する中、近鉄と統合したオリックス球団はチーム名をオリックス・バファローズに決定。初代監督は近鉄、オリックスを優勝に導いた仰木監督が就任した。分配ドラフトで、主力選手や将来有望と判断した選手はオリックスに、残った選手は楽天に振り分けられたが、礒部公一は楽天を選び、オリックスが選んだ岩隈久志は一旦オリックス入団後、シーズン前に楽天へトレードされている。

 統合1年目は仰木監督の体調が悪く、西武ドームの裏階段を登ることが出来なかったことから、仰木監督のためにバックスクリーンを開けてそこからタクシーで宿舎に戻っていた。4位でシーズンを終えると仰木監督は退任し、シニアアドバイザー(SA)に就任。監督には中村勝広GMが就任している。オフには巨人を自由契約になった清原和博を仰木SAがオファーし入団。また、メジャーに行っていた中村紀洋も獲得し大型補強を断行したが、仰木SAが12月に逝去。

 翌年に始動した中村政権は1年で終わってしまう。また、神戸と大阪のダブルフランチャイズ制から、大阪へ拠点を移し、本拠地は京セラドーム大阪へ一本化されたことから、事務所機能も大半が京セラドームへ移ることになる。現在でも神戸はフランチャイズとして使用しているが、試合数は減少傾向にある。2017年から練習施設、ファーム球場、選手寮が大阪の舞洲に移転。大阪の球団としての色を強めた。

 監督はテリー・コリンズを経て、近鉄の顔だった大石大二郎が2008年のシーズン途中から監督代行になると2位に躍進。統合後、初のドラフトで1位だった金子千尋(現・弌大)や、小松聖、近藤一樹ら二桁勝利のピッチャーに加えて、ローズ、カブレラ、ラロッカらビッグボーイズ打線が爆発した。シーズン最終戦には清原が引退。引退セレモニーには歌手の長渕剛が「とんぼ」を熱唱している。翌年、監督に大石監督代行が就任したが、これも1年で終わり、近鉄からの出資も終了。

 2010年からは岡田彰布監督が就任。T-岡田を命名するなど、スター監督として話題を作り、岡田監督が構築した勝利の方程式は現在のチームにも受け継がれている。2011年には僅差でCSに進出出来ず。翌年シーズン終盤に岡田監督は休養(事実上の解任)を言い渡され、森脇浩司監督代行へ。翌年から森脇体制がスタート。2014年にはソフトバンクと熾烈な優勝争いを演じ、あと一歩のところで涙を飲んだ。この年から球団は「さらに、ひとつになろう。」をスローガンに公式ダンス&ヴォーカルグループBsGirlsをデビューさせたり、ファンクラブやハード面の強化に着手。2014年はチームが強かったこともあり、成功を収めた。

 だが、大型補強をして臨んだ2015年シーズンは怪我人が続出。シーズン序盤に複数年契約を結んでいた森脇監督が休養すると、福良淳一ヘッドコーチが監督代行に。2016年には福良監督、そして球団復帰を果たした田口壮二軍監督の新体制となり、ブルーウェーブ黄金期を支えたメンバーがコーチ陣に入閣している。福良監督は球団初の生え抜き監督だったが、怪我人や外国人選手の不調などが重なり、優勝争いに絡めないまま2018年シーズンをもって退任。球団には育成統括GMとして残留し、日本ハム時代の人脈を駆使して、トレーナーなどを招聘している。監督は西村徳文監督が就任。金子、西勇輝の先発2本柱と中島宏之が退団し、小谷野栄一も引退。チームは若返りを図り、吉田正尚、山岡泰輔、山本由伸の猛牛三銃士が中心となり、新たなチームとしてアグレッシブなプレーを見せている。

 球団統合後は、分配ドラフトに漏れた選手でスタートした楽天が先に優勝しているだけに、早く優勝したいところ。ファンサービスなどハード面は12球団トップクラスなだけに、ソフト面が強化されれば最強の球団になる要素は十分に秘めているだけに、令和では宮内義彦オーナーがお元気なうちに、再び黄金時代を築いてもらいたい。

※文中敬称略

文・写真 / どら増田

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