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お笑い芸人 豪快伝説 其の二十六『石田明』

 お笑い芸人。コメディアン。エンターテイナー。そんな彼たちがかつて刻んだ偉大なる伝説、爆笑列伝を紹介していく連載の26回目。トゥエンティーシックスバウトは、NON STYLEの石田明だ。

 行く先々で“笑いの神”が降臨する。ダチョウ倶楽部の上島竜兵や出川哲朗は、そんなタイプだ。いっぽう、“アンラッキーな神”に愛されているのは、NON STYLEの石田明。4人兄弟の末っ子。大阪府出身。この出自から、もう神に愛でられてしまった。

 貧乏な家庭にもかかわらず、産まれてしまった4人の子ども。家計はつねに火の車で、オカンは毎日が必死だった。石田は当然、ロクに物を買い与えてもらえず、同級生があたりまえのように持っている文具でさえ、「ほしい」と言えなかった。

 小学生のとき、クリスマスの前日、「ゾイドのウルトラザウルスをください」という願い事を紙に書いて、寝た。翌朝、サンタから返事があった。「もうちょっと安くなりませんか?」。あきらかに、オカンの字だった。当時は怒ったが、大人になってからは、オカンのセンスに拍手を送った。

 当時の石田の骨密度は、70歳レベル。貧乏で十分な食事を摂れなかったため、異常なほどに骨が弱かった。ゆえに、アンラッキーな実話が多い。キャッチボールをしただけで、肩を脱臼。デコピンしただけで、中指を粉砕骨折。マンホールで転んで、足首をはく離骨折。草野球の最中にボールを投げたら、右腕がらせん骨折。骨折回数は、8回。「細かいのを入れると、じつはもっとある」と言うから、もはや材木並みの骨である。

 兄2人からは、つねにおもちゃにされていた。「アキラ隠しゲーム」なる、石田家オリジナルのゲームでは、ヘドロまみれの溝に隠され、罰ゲーム状態。最近問題になっているいじめを、なんと血のつながった兄弟から受けていたのだ。

 いちばんの不運は、漫才日本一決定戦『M-1グランプリ2008』かもしれない。4年前、念願の優勝をゲット。デビュー8年でつかんだ栄誉だった。「ついに、スターへの階段を登れる!」というその翌年、大ブレイクしたのは、準優勝のオードリーだった。

 ここぞというときまで、アンラッキーボーイ。しかし、その08年。M-1人気はピークに達し、関西では平均視聴率35%という信じられない数字を叩きだして、北京五輪に次いで年間2位に輝いている。瞬間最高視聴率は、同じく関西で43.1%。優勝した石田が、号泣したシーンだった。ノンスタの漫才、石田の涙は、オリンピックやサッカー、「24時間テレビ」(日本テレビ系列)のチャリティーマラソンに肩を並べるほど、国民に愛されていたのだ。(伊藤由華)

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