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【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】略奪したものの成就することがなかった“不倫愛”を美化した?一青窈

 26日に放送された「24時間テレビ41 愛は地球を救う」(日本テレビ系)において、歌手の一青窈が自身の名曲『ハナミズキ』を歌唱した。先月放送された『音楽の日 2018』(TBS系)にて、祖国台湾から生中継以来のテレビ生出演。一青の澄んだ歌声に会場やお茶の間が感動に包まれた。

 一青というと、2002年にシングル『もらい泣き』でデビュー。同曲は03年の『第36回 日本有線大賞』(TBS系)と『第45回 輝く!日本レコード大賞』(TBS系)で共に最優秀新人賞を受賞。さらに、同年の『第54回 紅白歌合戦』(NHK系)では紅白初出場を飾り、一気にスターダムを駆け上がった。

 しかし、2007年に音楽プロデューサー・小林武史との不倫関係が報じられ、世間を騒がせた。小林は当時、My Little Loverのボーカル・akkoと結婚しており2児の父親でもあったのだ。

 そして、2008年の元旦に小林はakkoと離婚したことで、一青の不倫愛はみごと、略奪に成功したのだ。また、小林との不倫が発覚した当時は、一青にも婚約者がいたという。事実であれば、一青は婚約者を捨てて、小林を略奪したことになる。

 さらには、2009年12月に放送された『FNS歌謡祭』(フジテレビ系)に2人揃って出演。パフォーマンス中には『2人の日がどんどん刻まれて』というフレーズで、小林の方に指をさしたように見える仕草をしたなど、全く悪びれる様子がない行動に世間の反感を買っていた。

 しかし、2人は同棲をしてたものの、強い結婚願望を抱いた上、子どもを欲していた一青と、再婚に煮え切れなかった小林は、やがて歯車が噛み合わなくなる。破局と復縁を繰り返した末、2014年10月に7年越しの不倫愛を清算したと『FLASH』(光文社)が報じた。

 だが、そのわずか半年後、一青は2015年4月にギタリストの山口周平とできちゃった婚を電撃発表。さらに、同年8月『週刊文春』(文芸春秋)にて、妊婦の一青が、過去の7年間にもわたる壮絶愛について暴露したのは記憶に新しい。

 インタビューによると、一青が夫と交際する前に“7年間”恋人だった相手がいたという。交際当初、その相手に“家庭”があることは知らなかったと証言。その後、相手は離婚したものの、自分は何も求められる身分ではないと思っていたことから、交際後も結婚と出産は諦めていたそうだ。最後は友達のような関係になってしまい破局に至った、と相手の名前は口外しなかったものの、まさに小林との経緯と合致する。

 ネット上からは「家庭を壊した女が幸せになれるはずがない」「不倫を美化するな」などの厳しい批判が多く寄せられた。また、「なんでこのタイミングで言うの?」「わざわざ出産前に語らなくても…」といった、母親を目前とする時期に軽率な行動なのではと疑問視された。

 一青は、どのような意図があって小林らしき人物との情事を告白したのかは不明である。ただでさえ恥である過去の不倫を美談のごとく語り、ましてや、身重の上、新婚の夫への配慮もない行動ともいえるであろう。

 実は、小林はMy Little Loverがデビュー20周年を迎える2015年に、シングル曲をリリース。さらに、同年11月には、デビューアルバム『evergreen』を再プロデュースした新作も組み込まれていた。長らくakkoのソロプロジェクトとなっていたグループに、再結成に近い形で合流したのだ。

 だが、とにかく気が強く攻撃的な一面があるといわれている一青は、別れた彼氏が元妻とよろしくやっていることに嫉妬して、報復したのではとも囁かれていた。

 「台湾人の父を持つ一青は、同国の5大財閥に数えられる資産家一族の出身だそう。それだけにプライドが高いのは当然かもしれないが、少なくとも、昔の話を公に蒸し返された小林は迷惑を被ったに違いない」(芸能ライター)

 2015年7月に発表したカバーアルバム『ヒトトウタ』(EMI RECORDS)の帯には『口伝えに子どもに読み聞かせする絵本のようにずっとずっと残しておきたいんです』と綴られている。そして、同年11月には待望の男児を、17年7月には女児を出産。母親として強く生きる証を子供たちに残してあげたいのだろうか。過去を清算し、悲願であった、結婚と出産のダブルの幸せを手に入れた一青の今後の活躍に注目である。

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