先場所、右ひざの靭帯を痛めて途中休場し、かど番に追い込まれていた貴景勝(22)が名古屋場所を休場することになり、史上最短、大関在位2場所での陥落が決まったのだ。
強気の貴景勝は、初日の4日前まで「みんなが思っているほど、(ひざの状態は)悪くない。確実に出る」と言い張っていた。
しかし、師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)は、「稽古が十分できていないし、何とも言えない」と、慎重な姿勢を崩さなかった。
「靭帯の負傷はなかなか完治しないので『骨折よりもやっかい』と言われている。先場所も再出場し、わずか1日土俵に上がっただけで再休場に追い込まれた貴景勝の右ひざは完治にはほど遠い状態です」(担当記者)
事実、場所前も幕下以下の若い力士をつかまえて稽古したのはわずか2日だけ。番数にして12番だった。
7月4日、朝稽古後の話し合いは揉めに揉めた。
「出場させてください」
「若い力士とちょっとやっただけでは、相撲勘は戻らない」
出場を懇願する貴景勝と、休場を勧める師匠の意見が真っ向からぶつかり、延々4時間も結論が出なかったのである。
「史上最短の大関陥落という汚点を残したくない貴景勝の気持ちも理解できますが、師匠からすれば、先場所も貴景勝の熱意に負けて再出場を許して失敗しているだけに、今回は折れるわけにはいかなかったのでしょう」(前出・担当記者)
結局、同日夕方に行われた2度目の話し合いでようやく貴景勝が折れたのだ。
「大相撲界では、師匠は絶対的な存在。普通は『休め』と言えば、それで済む。おそらく前師匠の元貴乃花親方の言葉だったら、貴景勝もすぐに従っていたでしょう」(同)
千賀ノ浦親方は、元貴乃花親方から預かった貴景勝に“遠慮”があるとされているが、今回ばかりは突っ張った。角界の金の卵を、ここで潰すわけにはいかないという親心。何年か後に、貴景勝は、この親の決断を感謝することになるだろう。