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「時代」を彩った男と女 元女子テニス選手神尾米さん 肩の故障に悩まされながらも8年間185勝174敗

 「沢松奈生子さんとよく比較されました」と、女子テニスの神尾米(かみお・よね)はよくこんなことを言っていた。

 90年代、女子テニスの第一人者は伊達公子(現・クルム伊達公子)だったが、その二番手が沢松で三番手が神尾だった。また別に「東の神尾に西の沢松」とも称され、伊達を超えるライバルとして注目されていた。それもそのはず、沢松が神尾よりも3歳年上で、ともに10代からテニスコートでボールを追っていたからだった。
 神尾は東海大相模高校卒業後の18歳でプロに転向。94年の全日本選手権のシングルスで優勝、96年ではダブルスの優勝も果たしている。「これで自信をつけました。テニスひと筋でいけると思った」
 95年の全豪オープン、ウインブルドン、全米オープンの3大会に参戦、3回戦まで勝ち進んだ。とくに記憶に残っているのが、全米では第2シードのモニカ・セレシュに挑戦したことだった。ただし、3度出場した全仏オープンでは1度も初戦を突破できなかった。
 このように順調な選手生活を送っていた神尾だが、慢性的な肩の故障に悩まされており、医者から「もうテニスはダメ」と再起不能の宣告を受けていた。
 その後、97年2月の「全日本室内選手権」で優勝したのを有終の美として現役を引退した。選手生活は8年間で25歳の若さだった。
 現役時代の成績は、通算で185勝174敗しており、そのうちシングルスが142勝106敗、ダブルスが43勝68敗であった。そして、キャリア自己最高ランキングは、シングルスが24位、ダブルスが65位であった。
 現在は、現役時代に所属していたブリヂストンスポーツの関係で後進の指導やそのイベントなどに参加、テニス雑誌への連載などと仕事をこなしながら子育てもしている。

 神尾が引退した前年(96年)には、世界ランキング8位で日本女子テニス界の第一人者だった伊達公子が突然引退していた。
 引退後、神尾は若手選手の指導に携わりながら、同時にタレントとしても活動を行っており、その体力を生かしてテレビ番組の企画でトライアスロンなどに挑戦していた。
 とくに99年、日本テレビ系のバラエティー番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」で企画された「ドーバー海峡横断部」のメンバー(内村光良、ウド鈴木、濱口優、堀部圭亮、藤井貴彦)の1人として参加、見事に泳いで横断を成し遂げた。横断タイムは6人合わせて16時間37分だった。
 その後もアドベンチャー的な番組に積極的に出演。テニス以外でも名前が知られるようになった。
 01年にテレビ局のディレクターと結婚。03年に長女を出産したが、その直前に夫の態度に失望して離婚、話題となった。

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