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“ホラ吹き漫才”横山たかしさん逝く「金ピカやったで〜」の声に涙

 吉本興業が強い関西のお笑い界にあって、松竹芸能の芸人を代表する一人として活躍した漫才師・横山たかしさんが、多臓器不全のため、6月1日に大阪市内の病院で亡くなった。「すまんの〜」「生き〜よ」のホラ吹き漫才で一世を風靡した

 享年70。金ピカ衣装に満面の笑み、やり込められると赤いハンカチをくわえて「つらいの〜」と泣きを入れる。出てくるだけで舞台がパッと明るくなった。

 愛媛県出身のたかしさんは、1969年に相方の横山ひろし(72)とともに「たかしひろし」でデビュー。当時は下ネタ満載のオカマチックな漫才だったが、「大金持ちのおぼっちゃま」「藤圭子が愛人や」などのホラ吹きが大ウケ。

 「松竹の漫才師としてのプライドを持ってはった人ですね」(若手漫才師)

 師匠は伝説の漫才師・故横山やすしさん。たかしさんは、生前、師匠についてこう語っていた。

 「そらもう無理難題、数知れず。数も忘れるぐらいどつかれました」

 他の弟子がやすしさんの暴力・暴言に耐えかねて廃業、移籍していく中、相方と一緒に横山の名前を守り、後進の指導にも熱心だった。

 「やすしさんとは正反対のやさしい師匠で、弟子の面倒見がよく、若手からも慕われてました。やすしさんを反面教師にしていた部分もあったんでしょうね」(演芸ライター)

 しかし、同年代の漫才師が見た横山評は少し異なる。

 「ええ格好しいで、弱虫。自分のイメージにこだわるあまり、せんでもええ苦労をしてはりました。もっと楽にやりゃよかったのに」

 1994年に上方漫才大賞を受賞。2014年には腰部脊柱管狭窄症を発症したが、不自由な体を逆手にとって「安倍総理からもらった48億円の純金の車椅子」(もちろんホラ)に乗って、舞台に上がり続けた。

 昨年秋に入院し、今年開場した松竹芸能の新劇場「心斎橋角座」への出演もかなわなかった。

 苦労人でもあった漫才師・横山たかし、あんたの人生は“金ピカ”やったで〜!

 合掌――。

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