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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元Jリーガー・アルシンドさん

 Jリーグが開幕した93年、鹿島アントラーズで抜群のスピードを生かして得点を量産、その年、チームのリーグ2位に大きく貢献した。それとともに独特の風ぼうで知られたのがブラジルからやって来たアルシンドだった。

 アルシンドはブラジルのトップリーグ・フラメンゴの下部チームで育ち、86年から90年までフラメンゴで活躍した。その間、87年のワールドユース選手権にU‐20のブラジル代表として出場した。
 日本には93年、ブラジルのグレミオから鹿島に移籍。94年まで鹿島で活躍。Jリーグ開始のころ、同僚のジーコやヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)のカズ三浦やラモス瑠偉、武田修宏らとともにリーグ初期を盛り上げたひとり。
 スピード感あふれる得点は多くのサッカーファンを魅了したが、それ以上に印象深かったのが、その風ぼうであった。とくに頭髪に関しては、頭頂部が丸くうすいことから、その姿が宣教師のザビエルやカッパに似ていると言われたりしたが、それがより存在感を強くした。
 そのキャラクターによりアルシンドは、かつらメーカー・アデランスのCMに起用され、お茶の間でも人気は不動のものとなった。そんな人気にあやかって、地元鹿島市内のそば屋では「あるしん丼」なる料理まで生まれたほど。

 95年にヴェルディ川崎へ移籍、1年目に19得点を挙げたが、96年にはコンサドレー札幌(当時JFL)に移籍。この時、判定を不服として審判に15回「バカ」と言って出場停止を受けた。その後も再び退場処分を受け、退団した。
 ブラジルに帰国してクラブチームで活躍したが、97年に再び来日、ヴェルディ川崎に戻って16試合で10得点を挙げたが、その後はふるわなかった。そして再び帰国。いくつかのクラブでプレーしたが、00年を最後に引退。現在は牧場や農場などを経営している。

◎ライバルだったジーコその後は
 アルシンドと同じブラジルから来日して鹿島でプレーし、後に日本代表監督にまでなった選手にジーコがいた。
 ジーコは、1976年ブラジル代表に初めて選出され、3大会のワールド杯に出場した。その後91年、日本サッカーリーグ2部の住友金属サッカー部のJリーグ加入と同時にオファーを受けて、当時スポーツ大臣だった職を捨て、現役選手として来日、グラウンドに立った。
 02年7月22日、トルシエ監督の後を受けて日本代表監督に就任。それまで監督経験がなかったものの、当時サッカー協会会長の川淵三郎の意向で最高額の年俸で契約した。
 ジーコジャパンの名の下に04年の「AFC2004」で優勝、05年の「コンフェデレーション2005」での健闘など結果は残したが、選手への管理面などで監督として問題を残した。現在は、ギリシャリーグのオリンピアコスCFPの監督に就任している。

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