オホーツクに消えた囚人船の謎

ミステリー 2016年07月13日 17時00分

オホーツクに消えた囚人船の謎画像はイメージです。

 モンゴルと満州国(中国東北部に存在した日本の傀儡政権)との国境付近で日ソ両軍が激突し、日本軍が大きな損害を受けた1939年も押し詰まった12月12日の未明、北海道宗谷郡猿払村浜鬼志別に、ずぶ濡れの外国人たちが助けを求めてきた。当時、北海道方面は数日来の悪天候に見舞われており、その日も横殴りの猛吹雪が吹き荒れ、視界は数メートルしかなかったという。幸いにも、外国人は帝国水難救済会稚内救難所猿払支所の浜鬼志別救護班に助けられ、直ちに副組長の榊原氏を中心とする救助活動が始まった。榊原氏は外国人の言葉がわからなかったものの、ロシア語であろうと推測した。

 とりあえず、猿払の人々は吹雪の中を浜辺まで出向き、同時に稚内などへ救援を要請したが、夜明けとともに彼らが目にした光景は、恐るべきものだった。浜鬼志別の沖合1500メートルほどに位置するトド岩(海馬島)付近に、おそらくはソ連船が座礁し、横倒の船体をさらしていた。船腹には多くの生存者が身を寄せあって、海岸へ救助を求めている。とはいえ、救援船は激しい風浪に阻まれて接近できず、本格的な救助活動が始まったのは翌13日朝の事だった。

 猿払の人々は続々と漂着する遺体を夜を徹して収容しつつ、救助活動を見守った。横倒しの船腹に避難していた生存者も、午後には全員が救助船へ移乗し、ひとまず安堵の空気が流れた。

 救出された乗組員などから、座礁した船は予想通りソビエト籍で、船名が「インディギルカ号」であることも判明した。また、船長のニコライ・ラプシンは船上から最後に救助船へ移乗したが、その際に「船内に生存者はいない」と救助隊へ告げたため、救出活動は打ち切られたのである。さらに、ラプシン船長は上陸した稚内で「乗客は漁期を終えてカムチャツカから帰還する漁夫ら1100名で、生存者は全員救助されている。特に女性と子供は全員が救助されている」という趣旨の談話を発表し、周囲の人々を安堵させた。

 ところが、船長らが救助された翌々日の15日朝になって、遺体の収容にあたっていた浜鬼志別青年団から、不気味な報告が寄せられた。

 まだ生存者がおり、船内に取り残されているらしいと。

(続く)

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