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伊藤博文暗殺の安重根義士記念館がハルビン駅で再開館――韓国の反日を裏で操る中国

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提供:週刊実話

 2年前から臨時移転していた安重根(アン・ジュングン)の記念館が、1909年10月26日、伊藤博文総理(朝鮮統監府初代統監)を暗殺した現場である中国・黒竜江省のハルビン駅に再び開館した。

 「2013年6月に北京で行われた中韓首脳会談で“反日告げ口おばさん”の朴槿恵前大統領が『ハルビン駅で安重根義士による義挙の現場が分かるようにしてほしい』と中国側に申し入れ、中国の習近平国家主席がそれを受け入れ14年1月19日に開館したのですが、一時的に移転を余儀なくされていました」(韓国ウオッチャー)

 それが再開館に伴い、記念館の面積は以前の記念館(200平方メートル)の2倍に拡張された。

 「内部には暗殺の直前、ハルビンに11日間滞在していた安重根の足跡を中心に、その生涯や思想、義挙および旅順監獄での様子などを一度に理解できるように展示物が構成されていますが、日本側に残っている明治天皇を称える書物などは一切展示されていません。そもそも安を最初に賛美したのは、韓国ではなく、日本の右翼団体なのです。それが今は反日の象徴で、韓国では義士、日本ではテロリストとされています」(同・ウオッチャー)

 伊藤博文を暗殺した時間(午前9時半)で止まった時計は、以前は記念館外にある記念館の看板上方にあったが、再開館後は記念館内にある安重根義士の全身像の上方へと移された。狙撃現場を示す1番ホームの三角表示も、来館者が館内からガラス越しに見られるように変わった。

「こうした韓国の『反日』の裏でチラつくのは、中国の影です。ソウルの明洞にある24階建ての中国大使館は周囲を威圧していますが、この場所は、1882年に『壬午軍乱』が起こると、これを鎮圧するために漢陽に進駐した3500人の清軍が買い取って駐屯した跡地です。その後、軍乱が落ち着くと、清は朝鮮から軍隊を撤収しますが、漢城防衛責任者を残しました。後に中華民国大総統にまでなった袁世凱です」(中国ウオッチャー)

 伊藤博文は「助けず、教えず、関わらず」の“非韓三原則”をタテに朝鮮併合には否定的だった。それを安重根が暗殺してしまったことで(ロシア説が有力だが)、山形有朋などの朝鮮統治強硬論者に取って代わった。反日の英雄、安重根はオウンゴールをしでかしたのだ。

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