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幕下陥落危機の元大関・把瑠都が早すぎる引退

 元大関で東十両3枚目の把瑠都(28=尾上)が、9月11日、日本相撲協会に引退届を提出した。把瑠都は年寄名跡を取得しておらず、角界から去ることになる。

 エストニア出身の把瑠都は、04年夏場所(5月)で初土俵を踏み、所要8場所で、05年秋場所(9月)で十両に昇進。06年夏場所(5月)で新入幕。08年秋場所(9月)で新三役、10年夏場所(5月)で新大関に昇進した。

 昨年初場所(1月)には14勝1敗で、初優勝を遂げ、翌春場所(3月)に綱獲りが懸かったが、10勝(5敗)止まりで、横綱昇進はならず。

 同年秋場所(9月)、九州場所(11月)では、2場所連続で途中休場し、今年初場所(1月)で関脇に陥落。同場所で10勝以上挙げれば、大関に復帰できたが、8勝(7敗)に終わった。

 関脇だった夏場所(5月)7日目の稀勢の里戦で、古傷の左ヒザを悪化させ、前十字じん帯及び半月板損傷と診断され、途中休場して平幕に陥落。

 東前頭6枚目で迎えた名古屋場所(7月)を全休し、秋場所(9月15日初日)の番付は東十両3枚目まで落ちた。この場所で全休すれば、幕下陥落は決定的となる。過去に元大関が幕下に落ちて、相撲を取った例は1度もない。しかし、痛めた左ヒザは万全で相撲を取れるほど回復はせず、決断を迫られていた。

 通算成績は431勝213敗102休、幕内成績は330勝197敗88休、大関在位は15場所だった。

 わずか1年半前には、綱獲りを目指していた把瑠都。年齢的にはまだ若く、元大関の引退としては、あまりにも寂しい結末となった。
(落合一郎)

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