「事件当日、島津容疑者は警部補を襲ったのち、全身を血で赤く染めた姿で左手に警部補から奪った拳銃、右手にダガーナイフを携え、悠然と小学校へ向け路地を移動していた。路地を抜け表通りに出ると、今度は片膝をつき、通り向かいの小学校へ向けて発砲した。あたかもサバイバルゲームでも楽しんでいるかのような没入した雰囲気だったといいます」(捜査関係者)
島津容疑者の一家は約20年前、関西地方から富山県立山町に転居。両親と姉の4人家族で、島津容疑者は地元の公立小学校、中学校へ通った。近隣住民によれば、小さい頃は飼い犬とよく散歩へ出かけ、愛想よく挨拶をする子だったという。
「当時は父親のしつけもしっかりしていて、何の問題もない家庭に見えました。ただ、中学2年生のころ学校でいじめを受け、不登校になったのです。3年になる頃には母親に、卒業してからは父親にも暴力を振るうようになり、高校へは進学せず家に引きこもるようになったようです」(島津容疑者を知る人物)
その後、地元の知人の仲介により、18歳の時に自衛隊に入隊。金沢駐屯地普通科連隊に所属し、昨年3月には除隊していた。
「それからはアルバイトを転々とし、最近は富山市内のファストフード店の調理担当として働いていた。しかし同僚によれば、決められた以外の仕事を頼まれると、腹を立てた様子で突然持ち場を離れることもあったようです。事件当日も道具掃除を命じられたところ、店長を殴りつけて姿を消したといいます」(社会部記者)
犯行がその直後とあって衝動的な行動とも取れるが、計画性をにおわせる一面もある。
「事件当日は黒のリュックにダガーナイフのほか、サバイバルナイフ、鉈など複数の凶器を入れ、家宅捜索でも多くのナイフ類や模造刀も見つかっている。パソコン内のネット閲覧履歴には、7人が殺害された2008年の秋葉原通り魔事件を調べた形跡もあったそうです。また、この事件を起こした加藤智大死刑囚について周囲に熱く語っていたという話もあり、少なからず影響を受けたと見られているのです」(同)
戦慄を禁じ得ない。